玉の輿 | Money-Cruiser

Money-Cruiser

今が踊り場・・・株式投資を中心にFX、N225先物やクレカとかマイルなどもバンバンやっていきます O(^-^)O

「世の中銭や」

江戸の頃の話で、八百屋の娘のお玉が大奥に奉公に出、三代将軍徳川家光の側室となりました。その後、五代将軍となる綱吉を出産し、女性としては最高位の従一位という官位を授かっています。


このことが「玉の輿」という言葉の由来の一つとされていますが、王の席を「玉座」と言うように「玉の輿」は王のような貴人に嫁ぐ際の婦人の乗り物を表し、そこから女性が婚姻によって手にする富貴な身分のことを「玉の輿」と呼ぶようになったとの説もあります。いずれにしても同じことで、女性が憧れる「シンデレラ・ストーリー」のひとつの形態です。


もう一つ、この「玉の輿」ではミュージカルにもなった実話があります。今からおよそ100年前の話で、モルガン家の御曹司と日本人女性の話です。


1900年の初頭、モルガンと言えば当時既に世界有数の金融財閥で、「国家をも上回る支配力で金融界に君臨し、産業界を陰で支配した一大金融帝国」として存在していました。余談ではありますが、モルガンはタイタニック(ホワイトスター社保有)の実質的なオーナーで、沈没事故の後に巨額保険金を受け取り、当時経営難にあった支配下のホワイトスター社は経営危機を乗り切ったとの逸話もあります。


日本とモルガンとの関係は深く、1923年の関東大震災の際には日本の外債をモルガン商会がいち早く引き受けています。また、JPモルガンによってアメリカで日本最初のADR(アメリカ預託証券)を発行したソニーの故盛田昭夫氏は、1969年にJPモルガン国際委員会役員に就任。この「モルガン人脈」がソニーの発展を陰で支えたとも言われています。


さて先の話は1903年、JPモルガンを設立したジョン・ピアポント・モルガンの甥ジョージ・D・モルガンが京都で豪遊中、芸妓のお雪に一目惚れしたことが始まりです。


外国の殿方に気乗りしないお雪は、無理を承知でモルガンに4万円で身請けして欲しいと頼みます。当時の4万円は現在のほぼ1億円に相当しますが、巨大財閥が後ろ盾にあるジョージ・モルガンには何の障害にもならなかったようです。


その額でお雪を落籍し、二人は1904年1月20日(後の「玉の輿の日」)に結婚式をあげました。当時“玉の輿”と言われましたが、世間からの冷たい目とかなりの苦労を伴い、決して乗り心地のいいものではなかったようです。


この恋の物語は1951年に越路吹雪主演にて帝国劇場第1回ミュージカル「モルガンお雪」として上演され大きな話題となりました。尚、JPモルガンは2000年に“ロックフェラー銀行”あるいは“石油銀行”と呼ばれたチェースマンハッタン銀行に吸収され(JPモルガン・チェース)、さらにその後バンク・ワンを買収し、シティーグループ、バンク・オブ・アメリカ(バンカメ)に次ぐ米銀3位の地位にあります。


また、モルガンはロスチャイルドとも関係が深く、現在はドイツ銀行傘下のモルガン・グレンフェルはもともとはモルガン家とロスチャイル家の結合体です。米金融大手のモルガンスタンレーは、グラス・スティーガル法(商業銀行と投資銀行を分離する銀行法)によってJPモルガンから分離・独立した投資銀行・証券会社です。


攻撃的な現実主義的戦略家として名を馳せ、黒人女性初の国務長官に就任したライス女史は、米石油大手シェブロンや米オンライン証券チャールズ・シュワブの役員の他、JPモルガン国際諮問委員会理事などの経歴を持ちます。