見捨てられた土地 | TERRA EXTRANJERA

見捨てられた土地

        「 世の中には、自分の祖国に帰りたくても帰れない人がいるものだ・・・ 」


   わたしはそんなことを考えながら、巴里の屋根の上を覆う灰色の雲を遠目に見つめていた。 

しばらくして 、何処に足を向けようか爪先で考えようとしたが、当然のことながら爪先が応えるべくでもなく

ただ、足元が小刻みに苦笑するだけ。

  何故かというと、今日の巴里は寒いのだ。立ち止まると精気が失せてしまう。だから歩かなければ・・・

                           何処へ?

                     それは、わたしにも判らない。

    問題なのは、何故このような冒頭の思いを抱いているのか、それを考えなければならない。 

                           んっ?!


          この 「なければならない !! 」 ってフレーズ。なんか引っ掛かる言葉。

                 確か、昔読んだ小説の一説だったかな?!

   あれは確か、Ludwig van Beethoven ( L・V・ベートーベン )の有名な四声のためのカノン

           クァルテット作品番号135の第四楽章。ドイツ語のフレーズだ。


                 

 Muss es sein ?  Es muss sein !!

          <そうでなければならないのか?そうでなければならない !! >


             

                とりあえず、気の向くままに四拍子で歩いてみた。

          「 世の中には、自分の祖国に帰りたくても帰れない人がいるものだ・・・ 」

      

                   こんなこと考えるのは理由があるから。

        わたしは、先週まで働いていた職場を終了し、来月半ばには祖国へ帰国する。

 今週から帰国するまでの期間、暇を持て余している。暇である故に、どうやって時間を埋めていくかが

         わたしの日課に成ってしまった。まるでパズルの空白を埋めるようなものだ。

            この三年間は、安月給で馬車馬のように働いたから当然の報い。

だが、馬車馬から単なる馬になるのも味気ないものだ。これは妙な因果律が働いている。日本人の性か?!


  何故か有り余る時間が恐怖に変わる。生活のリズムが狂うのは、メトロノームが狂うのと同じ類。


      そんなくだらない事を考えながら、気がついたら四拍子から八拍子で歩いていた。


                           突然


                 或る日の職場の同僚との会話を思い出した。

         同僚たちは、政治亡命移民が大半である。国籍はスリランカ人が大半だ。

              或る日、わたしはその同僚の一人に質問された事がある。

    「 何故、お前は仏蘭西で働いているんだ?日本は裕福な国だろ?仕事も沢山あるだろう?!」

                   わたしは、どう答えていいか戸惑った。

                

                  あれっ?!今、何処に向かってるんだ?

                     わたしは回想を中断した。

     そして、辺りを見回した。仏蘭西の町並みは、通り沿いの建物の角に通り名が掲げてある。

        Rue du Cateau d' Eau

                      <水の城通り>


        ってことは Plase de la Republique( 共和国広場 )に向かっている。


  そして、視界に映った光景は。雲に覆われた空の裂け目から、一条の光が街の一角を射していた。


           光が射す事によって、鈍い黄色のポスターが精気を得たようだ。


                 さて、さらに歩きながら、回想の続きでも・・・

   

   「 何故、お前は仏蘭西で働いているんだ?日本は裕福な国だろ?仕事も沢山あるだろう?!」

                   わたしは、どう答えていいか戸惑った。


         確かここまでだったな。その時は本当にどう説明すればよいのか考えたものだ。


                        何故かというと


             わたしはパン職人の経験地を得る為に働いている訳ではない。


 休日はよく写真を撮っているが、仏蘭西で写真の仕事をしたい訳でもない。今じゃ趣味に成り下がった。


                         そしたら何?


                    それは実に単純なようで複雑だ。


                     簡単に答えるなら生活の為。


                突然、仏蘭西に住める話が迷い込んだから。


      日本での生活が窮屈に感じたから。当時の環境を思いっきり変化したかったから。


  外国に住んでみたかった。外国人の気持ちを味わいたかった。少しでも等身大の世界を知りたかった。 


                            ets・・・


   

 

                  今日はやたらと北風が吹きつける日だ。


         わたしはからっ風野郎 の如く、鋭い眼光をして口元をマフラーで覆った。


               


                      しばらく歩いているうちに


            ( そろそろ雰囲気ありそうなCafeでも見つけて寒さを凌ごう )


                      そのように心の中で呟いた。


              * 雰囲気って文字変換できないのは何でだろう?


              そう言えば、この地区は歩いた事がある場所。


 ( あそこの白い看板の角は、確か古いHOTELの隣に、雰囲気のあるCafeがあったような?!)


         そんな記憶の曖昧さを当てにしながら、そのCafeへ向かう事に。




              



 

                  入り口の手前まで歩いて足を止めた。


            ( あの入り口の左に立っている男。見たことあるような ?!)


 それは、L’ ART BRUT BISTROというBrasserie(飲み屋)で、何回か見かけたことがある男だった。


       ( 確か、会うたびに煙草をせびられてる。よしっ今日は絶対あげないぞ )


           そんな思いを胸にCafeに入ろうとした時、男は声を掛けてきた。


        「 mon ami !! comon tu vas ? as tu une une cigarette s il te plait 」

  < 僕の友達元気かい?ねえ、煙草を一本頂戴 >

               

               わたしは、すぐさま心に抱いていた事を答えた。


「 oui ca va tres bien et toi ? par contre j ai pas de cigarette desole 」

< うん、元気だよ。君は?煙草いま切らしてるんだ。ごめんよ >


                        すると男は


                        「 tanpis !! 」

                     < しょうがないさ !! >


 そう言って何事も無かったような顔をしながら、彼の側を通りがかった人にまた同じことを言っている。


        「 mon ami !! comon tu vas ? as tu une une cigarette s il te plait 」

            < 僕の友達元気かい?ねえ、煙草を一本頂戴 >


     わたしはその様子を伺いながら苦笑した。この手の輩は巴里中どこにでもいるのだ。


                         人類みな兄弟


       そんな安っぽいスローガンが脳裏を過ぎりながら、Cafeの中へ入っていった。


                


   室内はとても古めかしい装飾品が置かれていた。それは、わたしの心に安堵感を抱かせる。

             そして様々な風貌の人々が、憩いの一時を味わっていた。

        わたしは、室内の角に一席空いていたので、そこに腰を下ろすことにした。

         しばらくして、給仕がオーダーを尋ねてきたので、Cafeを一杯注文する。

  室内は暖房が効いている。わたしはヨレヨレの革のコートを脱ぎ、物寂しい口に煙草を咥えた。

          そして、マッチを取り出した。火を点けながら回想の続きに浸った。

  「 何故、お前は仏蘭西で働いているんだ?日本は裕福な国だろ?仕事も沢山あるだろう?!」


                 


         わたしは、職場のスリランカ人に言われた質問に、このように答えた。

      「現在の日本の状況に窮屈さと絶望を感じ、祖国を捨てる覚悟でこの国に来た。」

「確かに、日本は裕福だ。衣食住に困る事は無い。だが、裕福な国に生まれたが故に抱く悩みもあるのだ」


               「きっと、あなたには理解できない悩みだろう・・・」

          同僚のスリランカ人は、わたしの答えを渋い表情で聞いていた。


                 そして間を置いてから、わたしに尋ねた。

                  「お前は自分の国が嫌いなのか?」

                        わたしは答える。

                  「今の状況じゃ好きになれない。」

                    同僚のスリランカ人は言った。

 「何故だ?お前の国は戦争をしている訳でもない。貧困に苦しんでいるわけでもない。なのに何故だ・・・」

                        彼は続けざまに

     「俺の国はシンハラ人とタミル人が、アイデンティティーの違いで武力衝突をしている」

      「その為、俺達は子供の頃から闘うことを教わった。そして憎悪を植えつけられた」

        「そして、民族のアイデンティティーの為に闘った。それ故に人も殺した・・・」

  「だが、心の奥で何かが間違っていると思っていた。それは、スリランカでは誰もが思っていたことだ」


               「人々は闘う事に疲れ、貧困に苦しんでいた」


    「しかし、誰も口には出せない。それは、民族のアイデンティティーを否定する事だ」


            「だけど、正直に言うと、その状況から逃れたかった」


        「そしてある日、俺は悟ったのだ。神は我々を見捨てたのだと・・・」


           「俺はその様な理由で、仏蘭西に亡命することにした」

     「そして、この国に来て初めて知ったのだ。幸福とは、裕福とは !! と言う事を」

    「だが、俺は自分の祖国を愛している。そして、俺の家族はまだスリランカにいる」

           「いつか、家族を仏蘭西に呼び寄せて幸福を与えたい」


         「何故か言うと、俺の国では現在の状況じゃ不可能だから・・・」

             その時、わたしは何も言い返すことが出来なかった。

          そして、これらの言葉を聞きながら、自分の答えたことを恥じた。

     その時、同僚のスリランカ人の眼には、生への情熱が溢れていた。生への情熱が・・・

                 このような出来事を回想している隙に

         気がつくとテーブルの上には、いつの間にかCafeが置かれている。  

   わたしは我に返り、Cafeを見つめた。琥珀色の液体の表面には、わたしの顔が沈んでいた。

 そして、Cafeを飲みながら周囲を見回すと、白い髭を蓄えた老人の視線が、わたしを凝視していた。 

        

                 

            わたしは、その老人の視線に戸惑いながらCafeを飲んだ。


      老人の視線は重みがあり、まさに時代に生き証人というような精気を感じさせた。


              様々な苦難を乗り越えた力強さを抱かされる視線。


日本という祖国に嫌気を感じて、巴里に転がり込んだが、所詮わたしは精神的亡命者には成れなかった。


            そして、祖国に愛する人々を残し、自我を貫いた事に恥を知る。


       また、同僚のスリランカ人のような、政治的亡命者の存在を肌で感じたからこそ


                  己の境遇へ不満を抱いた事に恥を知る。


         今、思い返せば全て些細なことだ。彼らの苦しみには足元に及ばない。


    簡単に、「祖国を捨てる」なんて言葉を、軽々しく口にするものじゃないと改めて実感する。


              どうやら、まだまだ蒼い春の真っ只中にいるようだな・・・


                  飲みかけのCafeを喉に流し込んだ。

     冷えた体もだいぶ温かみを増し、さっきまで青味がかった顔にも精気が戻ってきた。

  そう言えば最近、スリランカ出身の Vimukthi jayasunodara と言う映画監督の作品を鑑賞した。


            去年のカンヌ映画祭で、カメラドール賞を獲得した作品。

   La Terre Abandonnée

           ( 邦題 見捨てられた土地 )


          この映画を通して、同僚のスリランカ人の言ったことが頷けた。


                  わたしは、己の傲慢さを痛感する。

           

          わたしには帰るべき国があり、愛すべき人たちが待っている。


  しかし、同僚のスリランカ人は帰りたくても帰れない状況。とにかく生きなければならないのだ。


          そして、わたしも祖国で新たな日々を生きなければならない。


                     愛する人たちと共に・・・


                Muss es sein ?  Es muss sein !!

         <そうでなければならないのか?そうでなければならない !! >


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

                            追記


          今回は、佐伯祐三氏の作品をモチーフにしながら綴ってみました。


       長々とした駄散文ですが、ここまで読んでくれた方々へMerciをあげたい!!


         そして、簡単ながら下記に佐伯祐三氏の紹介と評論を書いておきます。


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


   佐伯祐三氏の絵は外人が巴里に感心した絵ではなく、日本人が巴里に驚いた表現である。


同一の自然も見る眼に依って違う違ふことの事実は、分かりきったことである。


     誰もそれに気付かぬだけだ。佐伯祐三氏は最初にそれに気付いた画家の一人である。


                           ( 中略 )


      日本人が巴里を見た眼のうちで佐伯氏ほど、巴里を良く見た人はあるまいと思ふ。

                                                       

                                                      横光利一


            赤い色を愛した、多少黒ずんだ黄色い色を愛した。毛糸のような。


                 そして彼は、何よりも東洋人の強い黒を愛した。


             私は彼の絵を思ふと、彼が生きている事をハッキリと感じる。


             彼はあの情熱に満ちた赤と黄と黒の画面で私達に話しかける。


                                   昭和五年「形式主義芸術論」 中河与一


                  

                      【佐伯祐三】 ( 1898-1928 )


         1898年(明治31年)大阪に生まれる。中学在学中から赤松麟作の画塾通う。


           1917年(大正6年)上京して川端画学校で藤島武二の指導を受けた。



                  翌7年、東京美術学校西洋画科予備科に入学。


         1923年(大正12年)美術学校卒業後、兄事する里美勝蔵を頼って渡仏。


                 1928年(昭和3年)パリ郊外にて客死。享年30歳。


                                                         Monde