生保への道(社宅とAC) | 化学物質過敏症(CS)/反原発エコロジー

生保への道(社宅とAC)

私は家族に抑圧されて育った、

アダルト・チルドレン(AC)の典型なので、

一般人のように「平穏な日常生活が続く」という、

安定した秩序や【安全の感覚】が無かった。



子どもの頃から、自分は長生きできなそうだ…と思い、

【死の恐怖】が強かった。


埼玉で小学校3年頃から、呼吸困難になったので、

東南アジアでも日常生活が難しくなった。



健康な人は漠然と、「自分は長生きする」という、

“根拠のない自信”があるようだが、

健康な人と病弱な人は、人生観・世界観が違うようだ。



大学時代からは逆に、自サツばかり考えているので、

「来年はもう死んでいる」と思って、

1年後の約束なんてできないのだった。



だから、「次回は無い」というつもりで、

今の時点でできることを一生懸命やって、


これが終わったら力尽きて死ぬ…と覚悟して、

いつも精神力で無理やり動いている。



しかし、一般人は病弱な私を理解できないので、

「アイツ、元気だな」と誤解したり(笑)、

私が体調が悪くて休むと、「サボるな」と怒るのだった。



東南アジアから帰国した時、埼玉南部のマンションを他人に貸していたため、

東京西部の社宅に2年住んだ。


埼玉南部よりも田舎で、いくらか体調が回復した。



しかし、排気ガスの臭いなどに過敏に反応して、

道端の乗用車に近づくと気持ち悪くなった(×_×;)


うちの親は1988年まで、自動車を持っていなかった。