広瀬隆と高木仁三郎(復習) | 化学物質過敏症(CS)/反原発エコロジー

広瀬隆と高木仁三郎(復習)

これらもクルーズ・ブログに、6~7年前に書いたので、

既知の方々は読み飛ばして下さい。



私が13歳の春に、チェルノブイリ原発事故が起きて、

「自分は20歳になる前に、白血病などのガンで死ぬのかな…」

と恐怖に震えて、原発に反対しようと意思を決めた。



しかし、市民運動との接点がなかったので、

埼玉の中学校と高校では、反原発の活動を何もしなかった。


91年に大学受験に全部落ちて、親にS予備校に入れられて、

影山和子先生の紹介で、私が反原発運動にデビューした。



私は予備校時代に、広瀬隆さんの『危険な話』を読んで、

やはり食物の放射能汚染と、肺に吸い込む空気汚染が、

人々をガンなどの病気にすることを、正しく認識した(¢_・)



高木仁三郎さんの『プルトニウムの恐怖』と、

『食卓に上がった死の灰』なども読んだ。


私は化学物質過敏症の悪化で、高校時代に文字が読めなくなったので、

普段は小説も新聞も読めなかったが、必死で情報を調べた。



しかし、早大原発研究会の男性の先輩たちは、

いきなり「広瀬隆はダメだ」と否定した(笑)。


食物の汚染よりも、「原発労働者のヒバク」を問題にしろ、と言った。


健常者の男性たちは、女子どもを見下しているので、

男性だけが「労働者」だと思っているようだ。



そして、実際に「原発を止める」ための方法論を、

考えないでごまかしていた。


彼らは高木仁三郎さんのファン(たかじん派)で、

90年に講演会をやった。



しかし、私は科学技術の話だけをしても、しょうがない…と思った。


第一、「代替エネルギーが無い」から、原発を推進したのではない。



原発は「電気のため」ではなく、核兵器製造の軍事産業なのだ。


騙されている人々の洗脳を解き、原発反対を多数派にして、

国会や地方議会や株主総会で決議するために、

政治的な運動をすることが必要だと考えた。