見津毅さん、湯浅誠さん(復習)
新しい読者に向けて、同じ説明をしているので、
聞き飽きた方々はスルーして下さい。
私は90年代から、湯浅誠たちの活動を知っていた。
(普通の人は知らない。)
湯浅誠と稲葉剛さんが、NPO『もやい』を作る前に、
『渋谷・原宿 生命と権利を勝ち取る会』(いのけん)で、
ホームレス支援をしていた頃から、
私は彼らの会報を見ていた。
私は大学時代に、湯浅誠よりも早く、
ホームレス支援集会に参加しました(笑)。
私自身が病弱で就職できず、
「将来はホームレス」が予想できたからです。
私の早大ノンセクト(無党派左翼)の先輩、
見津毅(みつ・たけし)さんが、
新宿のホームレス支援を最初に始めました。
見津さんは大学中退して、社会党『社会新報』の記者になりましたが、
95年3月にバイク事故で暗殺されて、
その後から東大の湯浅誠が参加しました。
私はここに書けない親友♂と、
90年代半ばに知り合いになり、
見津さんが亡くなった後に、彼の話相手になって辛抱強く聴いて、
10年以上前から『もやい』を教えてもらいました。
他方、東日本震災の2年前から、
大阪の若者(弟分)をブログで支援して、
彼に生活保護を勧めて、
NPO『オシテルヤ』を教えてもらいました。
私が生活保護をもらえたのは、“偶然”や“棚ボタ”ではなくて、
私と仲間たちの活動の結果です。
他の支援団体には、私のケースは難しいと、断られてきました。
しかし、今は湯浅誠の結婚詐欺に騙されて、
「名ばかり婚約者」にされて、
ロスチャイルド達を一斉逮捕するという口実で、
私が日本代表の生け贄にされています(T_T)