NHKで放送された「となりの子育て」より編集された本。
この本には、『成功者』を育てた親がどうやって
その子を育てたのか?方法や方針が
どのようなものだったのか、子供との関わり方を、
『成功者』の親が語った内容で構成されています。
一部『成功者』が語っている部分もありますが。
親がどのようにその人を導いたのかという点で、

非常に興味深く読みました。

この本に登場する『成功者』の親は・・・
指揮者:西本智実の母
サッカー日本代表:中村憲剛の両親
登山家:野口健の父
津軽三味線奏者:吉田兄弟の両親
書道家:武田双雲の両親

それぞれの方について印象に残った部分を

箇条書きのように書留めますので読みずらい

かもしれません。

西本智実さんの母はピアノ教師だった。
0歳からクラシックコンサートに連れて行った。
3歳からピアノとバレエを習わせた。身体が作られ始める時期
からバレエを習わせるのは非常に有効である。

集団で行うお稽古からは学べることが多い。
母と同じ音楽という道を選ぶのに、環境が整っていたようだ。
智実さんの音楽的才能を見出された際、
まずワルシャワ留学の話が来て、智実さんは浮き足立ち
留学を望んだが、母の音楽知識から留学するなら
ロシアでないと許可しないと助言。
結果としてその母の助言が成功のドアを叩くことになる。
智実さんは3人兄弟の長女。

中村憲剛さんは待望の男の子として
2人の姉より10歳くらい離れて誕生。
憲剛という命名は両親より一字ずつ取ったもの。
男の子だから野球か、サッカーかなーと思い始めさせた。
小柄であったが、隣家の壁に何度もボールを蹴る壁あてや
1000回リフティングの練習など日が暮れるまで
連日、黙々と練習し、小学校から大学まで主将を務めたり、
上の学年の選手に混ざって、一人だけ大会に

出場させてもらえる機会を得ることも多かった。
高校はサッカー推薦で進学させず、

都立高校に大雨の日も雪の日も自転車通学(片道7-8キロ)をした。
本人もその時点からサッカーだけの人生は望んでいなかった。
中央大学に進み、OBが長年勝ち取ってきた

1軍の座から降格させてしまうが、在学中に1軍に返り咲く。
卒業目前まで就職が決まっていなかったものの、

両親とともに、どうにかなるだろうとどーんと構えていたが、
さすがに若干、あせる。その後、まもなくプロからの誘いを

受けることになる。
「こんだけ、何か一つを一生懸命やり続け、やり抜いたのだから、
必ず道は拓けるだろうと思っていた」との父の談。
子供にとってすごく心強かっただろうと思う。

野口健さんの父は東大卒のエリート外交官で

大使も務めたことのある方。
母はエジプト人。途中で離婚してしまうが、幼少期

とても厳しく育てられた。
例えば、弁当の食べ残し。レバーを残したら、翌日からレバーだけの
弁当になり、数日後からお腹すくのでレバーを食べるしかなかった。と。
父の仕事柄、国を跨ぐ引越しも多かった。
兄がいるが、高校から日本の学校に行くため、

健さんは海外で父と2人暮らし。
中学からイギリスの全寮制の中高一貫校に通う。
エリートの父にも関わらず、息子にさほど勉強を強制しなかった。
肩書きが付いているから、ちやほやされる人物ではなく
”野口健”という名前だけで尊敬されるような人物になって
欲しいと常々思っていた。

本人が望むなら自分と同じ外交官を目指す道もいいと思ったが。
職業柄、子供にあまり関わってやれず、お小遣いだけを
与えているような時期があり、グレタ。高校進学も危ぶまれた。
不良の時期、あと一歩で大変なことに・・・

という状況も何度かあった。
でも、息子の運なのか、才能なのか、災厄の自体は免れた。

どうしようもなくなったら自分の子供だし、自分で責任を

持とうと思って見守っていたら冒険家・登山という道を

見つけてくれた。
息子というより、一人に人間として接してきた。
父親の懐の広さを感じた。
父はその後、日本人と再婚。健さんは義母ともうまく付き合い、
何度か失敗に終わっていたエベレスト登頂も、義母からの

手紙で奮起し、成功することができたと。


吉田兄弟の父は若い頃、三味線を習っていて

とても楽しかった印象があったので、こどもに

何か習い事をしたいと言われた時、「三味線を薦めた」。

北海道と言う場所柄、雪かきスコップを三味線に見立て

練習させたこともある。

自然と兄弟2人とも三味線を習い、二人は競う合うように上達した。

何事も始めて教わる習い事の先生は重要。

楽器は、ある程度高いものでないと、いい音がでない。

夫婦喧嘩も子どもの前でし、ありのままの姿を子ども達に見せた。

30歳まではプロの道に進めなくとも、プロを目指す活動をさせ、

経済的にも援助すると言うのが、夫婦共通の姿勢であった。


武田双雲の母は書道の先生、兼、エアロビの教師。
双雲は幼いころ、とてもやんちゃで、しょっちゅう外科通いをしていた。
指を同時に、両手3本折ったこともある。
ただ、両親はこどもにケガはつきものと割り切り、
止めさせることはせず、開き直り、見守り続けた。
母は3歳から双雲に書道の指導を始め、基本に忠実に教え込んだ。
息子は素直に聞き入れてくれた。
何人もの生徒を抱えていたが、結果的に伸びる子は『素直』な子。
双雲は大学卒業後、大手企業に就職するが、3年後突然やめると

言い出した。
友人と、書道で名刺を作成する会社を起業する為だ。
両親は退職を反対しようと思うが、企業の意志の強さに圧倒され、
母は名刺の字体案などを出すようになり、結果として母子の絆も深まり、
起業した会社もうまくいき始めた。
パフォーマンスとしての書も手がけ、書道の新しい形を世に

生み出したのは、エアロビ兼書道の先生である母の賜物である。

『成功者』を育てた親に共通する部分は、
おおらかな温かいまなざしで、子供を尊重し、

長期的視野に立ち信じて見守っていたこと。
又、親がその道の才能を持ち合わせている

ことも大きいのだなと、感じました。

TVで放送されているうちに、番組の存在を知りたかったです。。。