「ラスト・コーション」アン・リー

  Lust, Caution  色 /



 女スパイは、「スパイ」であることよりも「女」であることを選んでしまったのか?


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 1939年、日中戦争の勃発後、中国国民党が蒋介石率いる抗日派と汪兆銘(汪精衛)を担ぐ親日派との間で分裂し、互いに諜報合戦を繰り広げていた時代である。香港大学の愛国(=抗日)思想を持つ学生劇団のメンバーは、汪精衛の部下であり、諜報機関のリーダーであるイーがちょうど香港に来ていることを知り、彼に近づき暗殺しようと企てる。イーに色仕掛けで近づき、誘い出して殺そうという寸法だ。

 色仕掛けを仕掛ける女性には、劇団員としては新人であるが、美しく演技の上手なワン・チアチーが選ばれ、チアチーはマイ夫人としてイー夫人からイーに近づくことに成功する。そして、イーに洋服の仕立て屋を紹介して、イーを隠れ家におびき出すことにも成功する。隠れ家の中に誘い込み、イーを殺そうという計画である。しかし、イーはまだ警戒心を解いておらず、チアチーを玄関前まで送ると帰ってしまい、計画は失敗してしまう。

 イーがチアチーに好意を抱き始めていることを知ったチアチーたちは、今度は身体を武器にイーを陥れ、殺害しようと計画を立て直す。そのため、男性経験のなかったチアチーは、演技を見破られないために性の経験を積むこととなる。しかし、その相手はチアチーが思いを寄せるクァンではなく、唯一女性経験があった同志の男性だった。

 だが、チアチーの苦痛に満ちた初体験は徒労に終わってしまう。イーが香港を発ち上海に向かうこととなったからだ。計画の失敗に落胆し後片付けをする若者たちのもとに、イーに近づくために利用した男が事情を察して乗り込んでくる。諍いのすえ若者たちは男を殺害してしまい、傷ついたチアチーは仲間のもとを立ち去る。

 男の死体を始末しに来たのは蒋介石側の諜報員だった。こうして、チアチー以外の若者たちは本格的な諜報員として活動していくことになる。



 数年後、1942年。日本占領下の上海でチアチーは暮らしている。配給を受け、おそらく日本軍に強制されてだろう。日本語を習ったりしている。そんな折、チアチーは上海で諜報活動を行っているかつての同志と再会し、蒋介石の諜報機関のもとで、ふたたびイーの暗殺計画に参加することとなる。スパイとしての訓練を受けたチアチーは、香港から単身で上海に来たことをイー夫人に告げ、イーの家の一室に間借りすることとなる。


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 しばらくぶりにチアチーがイーに再会するマージャンのシーンはユニークである。チアチーはイーが捨てた麻雀牌をチイしようとしたがイー夫人からポンで奪われてしまう。しかし、イーは再びチアチーが必要とする牌を捨てるのである。イーはチアチーに好意を抱いていることを伝え、イー夫人はその夫の行為に対して一瞬険しい表情を向けるが、すぐにゲームに戻る。イー夫妻の冷めた夫婦関係と、チアチーとの恋愛の始まりが暗示される。そして、チアチーは獲物を捕らえたかのように含み笑いをする。



 いよいよチアチーの誘惑が始まり、イーを陥れる作戦が開始されるかと思いきや、イーの方が一枚上手であった。映画を見に行こうとするチアチーに車を手配し、自分の待つホテルの部屋へと連れてこさせるのである。

 部屋に入ったチアチーがゆっくりと窓を閉めようとした時に、窓ガラスに映るイーの姿を見て驚きの声を上げる長回しのシーンは印象的だ。不意を突かれたチアチーの心の隙間にイーの影がスッと入り込んでくる。これからの二人の関係を暗示しているかのようでもある。気を取り直したチアチーはコートを脱ぎ、チャイナドレスのスリットをめくり、ストッキングを脱いで自分から誘惑しようとする。このあたり、自分が優位に立とうとする二人の駆け引きがよく描かれている。チアチーに男馴れした女の手管はあまり感じられないがまあいいとしよう。


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 ともあれイーの方がやはり一枚上手であった。ストッキングに手をかけたチアチーに襲いかかり、衣服を引き裂き、後ろ手にベルトで縛り上げ、バックから強姦まがいにチアチーを犯すのだ。

 チアチーに対してもまだ警戒心を抱いているイーは、自らの指定するホテルに彼女を呼び出し、手首を縛り上げるという用心深さだ。諜報機関のリーダーである彼に近づいてくる女スパイを何人も殺したことがあるというイーとしては、当然の用心なのであろうが、チアチー達のボスが「イーは狡猾で用心深い。一度疑われたら命はないと思え」と言うようなイーの性格がよく描かれてもいる。

 一方で、一人部屋に取り残されたチアチーは、イーの欲望を自分に向けることができ、誘惑の第一段階が成功したことにほくそ笑む。




 この最初の性愛のシーンにしてもそうなのだが、アン=リー監督は「空気感」の表現が巧みな監督であると思う。

イーを誘惑し、イーの警戒心を解いて、イーを暗殺するという使命を持った女スパイ、チアチーと、好きになった女チアチーに対してさえ警戒心を持って接する諜報機関の幹部イー。この二人の最初の密会の場となったホテルのシーンにおいて、お互いに相手に探りを入れながら駆け引きし合う距離感が大きな窓の明るさと部屋の薄暗さとのコントラストの中に描かれているし、チアチーがホテルの部屋に入ってくるところからの長回しのシーンでは、部屋に入ってくるときの緊張した面持ち、開いた窓から外を眺めるときの安らいだ表情、窓を閉じるときに移るイーの姿に不意を突かれて驚く表情と、ゆっくりとした時間の流れのままにチアチーの表情の変化を丹念に追うことによって、観る者がその場に居合わせるような気にもさせられ、息遣いを感じるのだ。また、媾合の後に部屋に置き去りにされたチアチーが、最初は放心した表情をしていたのだが、数秒の後にほくそ笑むまでの間の取り方が、チアチーの心の中での分裂を暗示させるのである。


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アン=リー監督は、「時間」を描くことが巧みなのかもしれない。流れ去る時間ではなく、経過する時間だ。そうやって、登場人物の心の状態に観客を共振させようとし、また、そこに漂う空気感を浮かび上がらせ、登場人物の心情や心の揺れ、ときに物語の意味を印象深く描き出すのだ。(初期の「ウエディング・バンケット」においても、偽装結婚の宴のあとの空っぽの部屋の長回しのショットが、偽装結婚の空虚さを象徴していた。)




 イーと親密な関係になることに成功したチアチーは、イーとの逢瀬を重ねていくことになる。映画では濃厚な性愛シーンが、最初の強姦まがいの媾合も含めて、三回描かれる。巷でチアチーを演じたタン・ウェイの大胆な演技が話題となったシーンだ。

 執拗な性愛描写は不要なのではないかという意見もあるようだが、やはりこれらのシーンは不可欠であったと思う。二人の関係の変化を巧みに表現しているからだ。


 自分に近づいてくる女に対して強い警戒心を抱き、心を許すことができないイーでも、次第にチアチーのことを愛し信頼するようになっていく。

 最初は手首を縛りあげ、一方的にことをなし終えた。

 しかし、二度目の性愛のシーンでは、イーはチアチーをやさしく愛撫し、様々な体位をとって媾合することで、チアチーの身体を貪り尽くそうとする。男は、好きになった女の身体を味わい尽くしたいと思うものだ。女の体の特徴を探り、性の悦びを分かち合うことで、お互いの存在を一体化しようとする。果てるときに訪れる無我の境地は、思いの深さに比例して強くなる。

 そして、三度目のシーンでは、チアチーに騎乗位を許す。背面騎乗位でバックから突いたりもするが、チアチーに身を委ねた体位であることに変わりない。ベッドの木枠には無造作に拳銃が掛けられていたりさえする。


 三度の濃厚な性愛のシーンは、イーがチアチーに対して愛情を深めていく心情を描いているといえよう。イーは言う。「今まで誰の言葉も信じてこなかったが、お前だけは信じよう」と。いつ蒋介石の側の諜報機関の手に落ち、拷問を受け殺されるとも分からない恐怖と、誰も信じられない孤独の中で、イーにとってはチアチーとの性愛の時間だけが恐怖と孤独から一瞬だけ解放される時となる。




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 チアチーに心を許したイーは、イーの留守にイーの部屋に忍び込み、情報を盗もうとしていたチアチーを見つけても、「二度と部屋に入るな」とは言うものの、チアチーがスパイであるとは疑わない。それどころか、南京で「敵の幹部を逮捕した」ことを告げても話題を変えようとするチアチーに対して、「君はぼくの仕事に興味がない。巧みに話を避ける」といってなじる。そして、「他に女がいるのでは」と嫉妬し「部屋を借りて」とせがむチアチーに対して部屋を借りてやりさえするのだ。

 そして、日本料理の料亭で、李香蘭も歌った当時の流行歌「天涯歌女」をチアチーがイーのために歌った時、イーは眼に涙を浮かべる。「地の果てから最果ての海まで私は探し続ける心の同伴者を・・・ああ美しい人私たちはまるでほどかれることのない結ばれた絲のよう」

 イーの涙には、祖国への愛と、祖国のために日本軍に加担し同胞を殺さざるを得ない自身の分裂した立場を嘆く気持ちも込められていよう。しかし、歌に込められたチアチーの思いを素直に信じて溢れてきた涙なのではないだろうか。

 イーはついにチアチーの誘惑の罠に落ち、チアチーに大粒のダイヤの指輪を贈る。腕輪による拘束から始まったイーの猜疑心は、ついに指輪という愛と信頼の表現へと変貌する。




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(下に続く)