今日も天気のように、ちょっと晴れたり曇ったり、肌寒いと思ったら汗をかいたりで体調不安定前線の一日でした。
それでまた絵画のお話でも。
スペインでガイドをするってのは、かなり面倒なのよね。歴史も美術も豊穣なだけに興味深いけれど、学ぶ事が枝分かれしてきりがない。
そんな仲でも宗教がらみは日本人には苦手の部類なのよね。
キリストのいわゆる12使徒だって、日本人には馴染みがないから、全部言える方は、クリスチャンでもなければ、いないよね。
宗教画の案内してると、お客さまから、この人は誰ですか、とか、よく聞かれるんだよね。
それも絵の端っこに描かれてる人なんかで、ガイドの困る顔を見たいんだ、きっと。グスン;
知りませんがな、といいたいがそれは残念なことなので・・実は悔しいから調べちゃうのだ。
その当時は、PCもネットもないから、泣き泣き徹夜で本を調べたりね。ガイド仲間は、、ホントに知りたいんじゃないんだから、適当にパブロとか、シモンとか言っときゃいいんだよって言うけどね。
でも、どんなお客様の質問にも、にこやかに、すらりと正しく答えるガイドって格好いいじゃん。目指せカッコウイイ女!だもん。
ガイドさん、この石は何ですかぁ。あ、それは大谷石です、とか、鉄平石の一種ですねといいかげんこいちゃう時はすんまへん。だってぇ未知の端の石ですぜっつ。
宗教画とか西洋絵画の話をすると、イコノグラフイー(図象学)を、知ってないとならないのね。
なんか小難しい感じするよね。
だけど、ようするにこの人ダレ?って思ったら、
持ち物や背景に、その人が誰か判るヒントがるのね。持ち物はアトリビュートって特別に言うんだけど、これで結構、助かるんだよね。
聖人や聖女を描いた絵で、手に棕櫚の葉を持ってる人は、殉教した人なんだよね。
例えば、このフェルメールの「天秤を持つ女」では、なんで空の天秤持ってるんだろうって思うのね。この絵は、何を言いたかったんだろうって。
するとさ、部屋の壁に絵画が掛けてあって、
良く見ると最後の審判らしい。最後の審判では、大天使ミカエルが死者の魂を測るって云われているんだよね。
ほむ・・卓上の宝石箱はこの世の財宝・利益の象徴なんだと、フェルメールはこの世の財宝より魂の徳が天秤で測られるって、言いたかったのかな。
そう思ってみると、この静かで光と影の美しい絵が、フェルメールらしい神への敬虔さに満ちているって、また違った意味で眺められるのね。
絵画や図象学って、専門書も一杯出ていて、私のような素人が、こんな話するのは、どうもおこがましいんだけど。楽しく読めたらいいかなって思う。論文書くんじゃないんだから愉しむのがいいかと。
正しい評価や分析は他にやる方も多いでしょうが、素人の楽しみとして遊ぶ。生活には何の役にも立たないからいいのかなってね。