「芸というものは、八方円満、平穏無事、なみかぜ立たずという環境で育つものではない。
あらゆる障害、圧迫、非難、嘲笑をあびせられて、それらを突きぬけ、押しやぶり、たたかいながら育つものだ」
これは山本周五郎の「虚空遍歴」の一節ですの。
スペインに行って、絵画や音楽を改めて学んだり、感じたりする機会に恵まれたんですが。
例えば、ピカソであってもゴヤであっても、その私生活は穏やかさには程遠いのよね。友達にはなりたくないような性格もうかがえるの。
あたしの好きなバレンシアの画家、ホアキン・ソローリャも若くして自殺してしまったように。芸というのはある種の魔を孕む物であるの。
こういう魔っていうのはね、理解され難いのよね。
何かが降りてくるような時。
そんな時が、多くの芸術家にはあるのかも知れない。
あたしは全く芸術には縁遠い凡人ですが。十年以上、毎日プラド美術館に通い、画家達の魂に触れたので、その経験はとてもあたしの感受性を育ててくれましたし。
常に絵画にある光と影について、勝手に思索したり、歴史の重たさを感じたりもしたんですの。
自分の人生は、大した事は無かったかも知れないけど、スペインで見た数々の絵画や、街角の大道芸四重奏のバッハとか。ありがたくも豊かな経験でございました。
江戸物で、地唄をテーマに下書きを書いていて、芸という道を考えると、とても怖ろしくて踏み入れられない。
その魔力は人を滅ぼし、花開くものなのだろうか。過去のモーツアルトやショパンや多くの作曲家。
ゴッホやダリやルソーやモジリアニでもね、やはり後世に残るような偉大な芸術や芸は。
魔に魅入られないと完成しないんだろうと思う。写真でも文でも何でもね。
何かを創り出し、何かを生むって事はそういう事なんだろうと思う夕暮れでしたの。
魂削るような文章を書けたら本望だよね・・