この絵の前に立つと、人々は無言になります・・・


その力に、胸が震えて、佇んでしまうのね。


スペインの北、バスク地方にある、ちいさな村、ゲルニカ。


場所は知らなくても、ゲルニカの名前は、
ピカソの絵で、あまりにも有名ですよね~


スペイン内戦の終わりに、フランコを支援する、
ドイツのコンドル爆撃隊によって、

1937年4月26日、壊滅的に絨毯爆撃された小さい村。


ゲルニカの木の下で、平和的に村民が話し合い、
村のきまりを決めていた、穏やかな村が、


なぜ、これ程ひどい爆撃を受けたのか・・

理由は様々でしょう・・


桃林の桃源郷 桃林の桃源郷
↑3代目のゲルニカの木   →町のバルの壁にも描かれているバスクの心

北のバスクは、山の民と言われて、
ゲリラ戦になれば、不屈の闘志で戦う、
やっかいさからだとも、


既に、勝敗は決まっていたのにもかかわらず、
空爆の実験的爆撃だったとも、言われます。


これ以降、第二次大戦は、”空を制するもの戦争を制する”と、
言われるようになったのです。


この縦3・5m横7・8mの巨大な絵を、当時フランスに亡命していた、
ピカソは怒りに燃えて、2ヶ月で描ききったのです。


ピカソはスペインに民主主義が根付くまで、
この画をスペインに入れるな!と、

長く、ニューヨーク美術館に展示されていました。


その後、プラド美術館の別館に飾られ、
現在はレイナ・ソフイア芸術センターに飾られています。


桃林の桃源郷


何度もお客様を連れて、ご案内しました。


そして、何時もこの絵の前に立つと、
緊張と同時に、心の震えるような敬虔な気持ちになるのです。


自分は、この絵の何を伝えられるのだろうかと・・・


右端の爆撃で、もう息もなく・・冷たくなってるにもかかわらず、
泣き叫べば蘇るかのように、

子供の遺体を描き抱いて、叫ぶ母親の何を・・


ご年配のツアーの時は、すすり泣く方も、少くなかったのです。

歴史的背景も、細かい絵の部分的説明も、いらない。


帽子を取って、ゲルニカに深々と礼をした、老人のお客様は、
ホテルのカフェで言いました。


自分は、中国に戦争に行った人間です。
未だに、泣き叫ぶ親の声で・・夜中に目が覚めます。


今日は本当に、素晴らしいものを見せていただきました。

生きてこういう素晴らしいものを見れて、
自分は幸せだと、つくづく思いました。
ありがとう!


わたしも泣きました・・


ゲルニカはすごいとしか言いようのない絵画です。


ガイドとして、こういう作品を伝えられる幸せを、
しみじみと想わせる、作品なのです。


アメリカの大統領オバマですら、イスラエル支援、
アフガン掃討を表明するのを見ると、


胸が痛みます・・・
戦争がいったい何を生むのか・・


※息子の記事に、コメント頂いて本当に有難う御座います!

  息子記事と全く、色合いが違いやすが、
  自分が今、書かなくっちゃと、思うことを書こうと思っています。

  とにかく冷酷で真面目な訓練好きな、あたいなんでо(ж>▽<)y ☆