今日は月命日 パグ脳炎と闘ったあんずの記録 | ももあん日記

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わんことの暮らしや趣味など、のんびりと書いていきます。


今日19日はあんずの月命日です。


2010年3月19日に2歳と4か月でお星様になりました。


病名はパグ脳炎。


私がももこを迎えてあまりのかわいらしさにパグ中毒となり、是非もう一匹パグを迎えたいと我が家にやってきたのが黒パグあんずです。

当時ブログでは黒パグアルバス校長君が大人気で、2匹目は黒パグと決めていました。

知り合いのブリーダーさんに見に行き、ちょっとお目目が離れてましたが、愛嬌とももことの相性で気に入り、即決で決めて連れてきたのがあんずです。


私のネームのももあんはももことあんずからきてももあんとなりました目


我が家にきたころのあんずです。



あんず2007年10月28日生まれ。



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ももこ姉さんこんにちは。あんずです。



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来てすぐおなかをみせたり我が家になじんでくれました。



ももことの相性も良く、いつも一緒にくっついてました。



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2008年11月終わりころ、あんずの軽い旋回運動がみられました。

私はこの少し前に、ごんちゃんというパグのパグ脳炎の闘病記録を偶然見つけ、こんな悲しい病気が

あるんだと思ってたところでした。それから常にパグ脳炎のことが頭から離れませんでした。


そしてあんずに見られた旋回行動。。ぞっとしました。

すぐかかりつけの動物病院へ。。。

先生は三半規管の炎症でバランス感覚が悪いのではと薬が処方され10日くらいで治まりました。

考えすぎ?と安心していたところ、12月27日に段差を降りるときにキャンと鳴きました。

ごんちゃんの闘病記録の前兆に同じような出来事があったのです。


そして12月29日恐れていたけいれん発作が始まりました。

この時点では、まだてんかんかパグ脳炎かの判断はつかないと。

MRI検査を勧められましたが、年末で病院が休みに入り、秋田ではMRIの施設がないため一番早く予約が取れる川崎の病院へ年明け(といっても8日頃でしたが)に予約を入れてもらいました。


しかし12月31日夜から旋回運動が始まりました。常に回ってて全く止まろうとしません。不安で不安で、年末午後11時頃病院に駆け込み、病院で新年を迎えました。この時点で脳炎でしょうと。。。


先生と相談し、MRIも麻酔や川崎までの移動等リスクがあるため、このまま症状合わせた治療を行うことにしました。

この時の発作はひどくて右半分に麻痺があり右目も失明しました。左旋回の後遺症も残りましたv。


治療は脳圧を下げるための点滴を発作後は毎日(1週間位)、1日おき、2日おきの通院と。。そして落ち着いたと思ったらまた痙攣発作。。これを2か月~3か月ごとに繰り返してました。

1日4~5回発作が起きると入院です。闘病中4回ほど入院しました。

通院は片道50分から1時間かかり、点滴に2時間かかりました。

もうその時は必死でしたから、大変とかは全くありませんでした。



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通院途中の海で。脳炎のせいで体が傾いてます。



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うちのデッキで。元気ですが目は見えていません。

呼ぶと一生懸命探しながら(回りながら)来てくれました。


ももことの相性もよくいつも一緒。

病気のあんずを気付かってました。


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2009年6月、私の病気が発覚し、手術のため入院することになりました。

心配なのは自分の状態よりもあんずでした。留守の間の世話をいとこに頼むなど手配をしたところ

入院の3日前に大発作を起こしあんずも入院。。症状も重く10日ほど入院しました。


この後はどんどんいろいろな症状も出始め本当につらい闘病生活となりました。


迎えられないと思っていた2歳のお誕生日を迎えることができました。


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2009年10月28日

薬で毛は薄くなり、常に傾いています。


家では旋回運動をするためサークルを2つつないで畳1畳ほどのあんずルームを作り、周りはマットレスで囲いました

排泄もトイレシートでできるわけもなく。おむつをしても歩き回るためすぐ取れてしまうためできず、下にビニールシートを敷き、毛布やタオルケットを厚め敷き(バタンと倒れるので厚めにしました)排泄するたびに洗うと1日3~4回は毛布を取り替えてました。

家からかえると、う○こまみれということもしばしば叫び


一番つらかったのが遊泳運動でした。

寝たままの状態で、足をばたつかせるのですが、休みなしなんです。1回はじまると2週間位続きます。

この状態でずりずり動くので床ずれして皮膚の皮ははげるはし目は傷ついて真っ白になるわで痛々しい叫び

24時間なので家族で交代で看病です。

通院は衣装ケースに入れ動いてもいいようにして通いました。


ご飯はだんだんうまく食べれなくなり、シリンジで1日5回に分けてあげてました。

でも十分な栄養が取れないのかどんどん痩せていきましたしょぼん



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まだ遊泳運動が始まる前。毛は薄いが傷等はなし。



亡くなる3日くらい前から、食欲がなくなり、2010年3月19日午前4時30分。

眠るように呼吸が止まりました。朝方4時頃なんとなく目が覚めあんずとお話ししてました。

最後う~んと伸びをしたかと思うと、ゆっくり呼吸が止まりました。

最後をみとることができました。。汗


あんずにとっては苦しいだけの1年4か月の闘病生活だったかもしれない。

延命治療は人間のエゴかと悩んだりもしました。

でもそこに生きたいと頑張っている命があればできるだけのことはしたかった。


そして闘病生活でなにより励みになったのが、MIXIで大吉君の闘病生活をしていたkeroさんが立ち上げてくれたパグ脳炎のサイトでした。

同じ不治の病で苦しんでいる方々からいろいろアドバイスをいただき本当に心強かったです。

本当にありがとうございました。


私は秋田という場所柄、パグ脳炎の治療例があまりないのか他のみなさんと違った治療だったかもしれません。免疫抑制剤は処方されなくステロイドと脳圧を下げる点滴が中心でした。

でもいつ状態が変わるかわからない中夜中でも早朝でも対応してくれたO病院の先生には本当に感謝してます。


いまだにパグ脳炎の特効薬はありません。でも進行を遅らせる治療は進んできているような気がします。

早期に診断され、普通と変わりなく過ごしているパグちゃんもいるようです。


この憎き病気の原因が解明され1日も早く薬が開発されることを願っています。



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パグ脳炎なんてなくなればいいな!!



今でも思い出すたび涙がこみあげてきます汗


いつかまた元気なあんちゃんに会いたいな。



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あんちゃんまたね!!