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日本のサーフィン業界、もうめちゃくちゃ、自分もボード作り40年やって来たけどここまでになるとは思ってなかったし大人しくしてたけどさすがに黙ってると騙されてる人が90パーセントくらいだからまた叩きを再開しようかなと思ってます、これから楽しみにしててくださいね!
カリフォルニアで毎年ひとりづつシェーパーが選ばれ古くからはベルジーの時代からたくさんの著名なシェーパーが選ばれて殿堂入りして来た、これは大リーグの野球殿堂と同じようなもので選ばれた人は後生に名を残す
日本では知られてないけど世界レベルではとても大変な事、
もうすぐ引退するから記憶に残しておくために敢えて自分から初めて言うけど7〜8年くらい前にあのサーフィンの神様 ジェリーロペスさんと殿堂入り候補の最後の二人に選ばれた、
最終的には俺は次点でジェリーさんが殿堂入りしたんだけど
ジェリーロペスさんに憧れて始めたサーフィン人生だから神様ジェリーロペスさんをさておいて俺がなるのなんて100年早いのはもちろん分かってたけど
人世の中で最高の思い出になった、
我がサーフィン人生に悔い無し!(^o^)
履歴書 www
1953年東京生まれ東京育ち、1月3日生まれ、A型 1980年にモーメンツサーフボードを立ち上げ中野区に工場とショップをオープン、当時はサーフィンブームでそこら中にショップがあったが所詮日本の中での低いレベル、本物のシェープの勉強の為に1982年よりカリフォルニアの当時の有名なシェーパー ゲーリーリンデンなどとの交友を経て世界2位のブラッドガーラックの板をシェープ貴重な経験を積ませてもらい、
1985年ハワイへ シェープの出来る環境を探すが見つからずワイキキのビーチで海を見ていた所、偶然隣に座って声をかけて来たロコの14歳の少年(後のワールドチャンピオン、ボンガパーキンス)と仲良くなりローカルサーフボード工場を紹介してもらう。ハワイでのシェープ環境が出来てボンガとともにロング、ショートボードの開発、テストを開始。
当時ハワイアンASPランカーのカラニロブ、アンディーアイアン、ジョン シモオカ.カリフォルニアの世界ランク2位のブラッドリーガーラック、WTレディース、世界3位メーゲンアブボ、トミータナカ、ガイペリー、ショーンマッコイなどにショートボードを供給。
レジェンドサーファーラビットケカイ、ボンガ、ジムとのボード開発と共にハワイモーメンツ少年団100人くらいを結成、その他ワールドクラスのハワイアンティームは常時10名以上在籍
1993年よりボンガが世界選手権5位、94年2位、95年2位そして96年フランスで行われたオクスボーの世界選手権でワールドチャンピオンに。10年間ボンガとの2人3脚で日本人シェーパーとしてただ一人初めてのワールドチャンピオンシェーパーとなる、
その後ダフイ、のメンバーになり島中のローカルハワイアンとの交流が始まる、
レジェンドサーファーラビットケカイ、JPSA3タイムチャンプのユージンティールなどトップサーファーにロングとショートのシェープを供給
1998年ボンガがローカルモーションに移籍した後も2000年まで来日時シェープを担当、
2001年、1986年より続けて来たハワイでの生活を終了し、日本(東京)でのシェープに専念日本全国のディーラーへ板を年間約1000本を供給
2003年ディーラーへの供給活動を休止とともに千葉北へ移住しハワイアンタイム(ショップ)M-factory(工場)を立ち上げ、顔の見えるお客さんのみに板の供給の予定でいたが世界で最も危険な波、みんな10フィートくらいのガンでやってる中、マーベリックスをただ1人ロングで攻めてみたいとの要求に応えてハワイアンのフランクヒメネスに供給を開始、そして現在のワールドチャンピオン ハワイアンの Kelis kaleoopa そして元2度のワールドチャンピオンKelia Moniz などからのオファーによりまた世界レベルのステージへ復帰、69歳の今も
日本のサーフィンの歴史の中でたった一人しかいない 日本人ワールドチャンピオンシェーパーとして活動している、
自己紹介のリクエストがあったので、自分で書くの恥ずかしいから友達になるべく客観的に書いてもらいました、(^o^)
90年代マカハのチャンピオンシップ決勝 左からラスK . ボンガ、テッドロビンソン、ジョッシュバクスター、全員めちゃウマでした、板は僕の大尊敬してるバリーカナイアプニ、ドナルドタカヤマ、スチュアートと超レジェンド達です、場違いな僕の板が混ざってるのが不思議ですが一生の記念になりました、
YouTubeでハワイのビーチボーイのビデオ見てたらハワイのレジェンド達がたくさん写ってた、みんな凄い人達だなと改めて思ってたら何と何と僕が出てた!
それも世界で初めてSUPをやったJohn pops ahchoy とツーショットで左側が若い頃の自分、
これは残り少ない人生の記念になるかも、
素直に嬉しいです、