調子に乗って、バンドの追っかけ道について書いてもいいですか。
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劇団★新感線の追っかけから知り合った劇団で
スタッフにスカウトされた話はこちら。
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お芝居もそうとうな頻度で行ってたんだけど、
もっと追っかけてたのは、バンドなんです。
お芝居は公演期間がある程度、限られてるんだけど、
ライブハウスでは、毎日なにかやってる。
多い時で年間160本のライブに行った年もあります。
20代は劇団の追っかけで、30代はバンド追っかけ生活でした。
ものすごく大好きなバンドがいくつかあるのですが、
またもやスカウトされて、あるバンドのスタッフをしています。
憧れてた人のバンドスタッフ。
これも黄金の追っかけ道のおかげなんです。
どうやって好きなバンドのスタッフになれたのか、
そのことをお話したいと思います。
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バンドの追っかけで、初めて遠征したのは、
知る人ぞ知る、アースシェイカー。
あ、新感線のオロチは別ね。
オロチについては深いのでべつのトピックスで♪
高校生の時に大好きだったアースシェイカー。
当時は生のライブに出かけられず、
もっぱらカセットテープを聞いてた日々。
ナイフを握りしめた18の日々ではなく、
ウォークマンを握りしめた日々。笑
「ロッキンf」って雑誌を知ってますか?
ジャパメタがけっこう取り上げられていて、
ラウドネス(LOUDNESS)もアースシェイカー(EARTHSHAKER)も
ちょいちょい表紙になっていました。
写真とか対談が載ってて、しょっちゅうは買えない値段だったけど、
シェイカーが表紙のときだけ買ってたなぁ。
ところが、高校を卒業して大学生になり、
いつか興味はお芝居に移っていったのです。
働き出しても、芝居一辺倒。
1994年にアースシェイカーが解散した時も、
「へぇ、さびしいな」ぐらいだったのです。
世の中がビジュアル系全盛になってて、
私はあんまりビジュアル系に興味がなかったのも理由のひとつ。
まぁ、新感線にハマりすぎてて、
バンドどころではなかった、というのが事実なんだけど。
(といいつつスタッフは違う劇団でしたが・・・笑)
そんなアースシェイカーが復活したのが、
1999年の京都磔磔の25周年イベントでのシークレットライブ。
それがキッカケで復活したんです。
実は、そのライブのこと、私は知らなかったんだけど、
私の追っかけマスター(追っかけの技を色々教えてっくれたすごい人)が、
同じくアースシェイカー好きだったので、
再結成ライブがあると教えてくれたんです。
そして、1999年10月29日、東京のON AIR EAST、今のO-EASTでのライブ。
追っかけマスターがチケットを取ってくれて、東京に遠征。
それがシェイカー初遠征でした。
(続く)