どうもこんにちは
早いもので3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震から1ヶ月が経ちました…仙台市内は震災前までとはいかないものの、徐々に活気や、物流がある程度回復してきて落ち着きを取り戻しつつあります。
ですが1ヶ月たった今でもライフラインが完全に復旧に至っていなかったり、避難所暮らしの方が大勢いらっしゃったり…なくなられた方はもちろんのこと、行方不明者もまだまだたくさんおられます。
なるたけ早い復旧を望むばかりです。
そんなまだまだ安定していない状況の中ワシはというと、転勤のため今日宮城県仙台を後にし、今関東へむけ走っている高速バスの中におります。 東北道…開通したとはいえまだまだ地震の傷跡があちらこちらに残っており、今回の地震がどれだけ大きかったのか
と思い知らされます。
こんな状況下において東北の宮城の復興のお手伝いをやらないまま関東へ行くのはなんだか逃げる気がして、後ろ髪をひかれる思いですが、関東にいったあとでも少なからず何かしら力になれることもあるとおもうので遠方よりお手伝いできればと思っております。まぁ体は遠くても気持ちは近くにいるつもりです
ふと思いおこせば仙台に来たのは3年前の2008年1月…
それも急な人事異動でした。通常であれば春などにあるはずなのに1月1日付けでの異動命令
まぁそんな急な人事異動がでたのも、ワシが07年11月に08年春に会社辞めると言ったことも関係あるのかもしれんが…
03年に入社しずっと東京本社勤務でほぼ休みなく残業ばかりの生活が続き5年目に、耐えきれなくてじゃっかん壊れた時期がありました。
布団に入っても眠れない日々。職場に行くものの常に苛々していたり、時に凹んだり気持ちの浮き沈みが激しく何事もどうでもいいや的な感じになってました。そのときの口癖が『もうどうでもええよ』だった…
そんな中の仙台への転勤
当初はこの上司A(←再登場(笑))何いよるん?アホか!ともおもってましたし、ワシが辞めたいと言ってることは知らないのか?って聞いたら一言『知らん』この一言でコイツに言っても無駄なんじゃと思ったことを今でも覚えてます。
命令を伝えられたのが、12月も半ばを過ぎたあたりであったのと、転勤は絶対命令であったということもあり、ドタバタしてるうちに仙台に来てしまった…
でも今思えば仙台に来てホンマにえかったなって思ってます。
東京にいた頃とは違い土日はほぼ休み。残業もかなり減りとプライベートな時間が増えていきました
手取りの給料は減りましたが
ただ仙台のお店が閉まるのがすごい早かったため仕事を終えたあと街中でても入れる店もないっていう印象はありましたが(笑)
初めの頃はこちらに友達が誰一人いなくて寂しい思いをしましたが、コミュニティー等入って飲み会なり参加していくにつれて友達もできてきました。
それに土日に時間が作れるようになったので学生の頃からやっていたバレーボールを再びやりはじめたり、ジム通い、バスケやらフットサルにも手だけでなく足も出してみたり…
また各種イベント毎への参加してみたりなど暮らしていけば行くほど知り合いや友達が増えていきました
まぁ途中むしゃくしゃして友達をなくしかけたこともありましたが
でも今思えばいい思い出です。
仕事のほうもプライベートに時間を作ることができ、心にゆとりができていたこともあってか、うまいこと順調に仕事ができました。
バランスの大切さをしりました。
今までの人生で一番高い買い物として車を購入したり、お洒落家具の購入…物もあまり減ることなく増えていきました(笑)
街中も、パルコができたりアウトレットモールができたりと景色が毎年変わっていきました。
なんやかんやで東北で過ごしてきた3年間はとても早くあっちゅうまじゃったと感じます。それに日々とても充実できたと思えた東北ライフでした。ただ唯一の心残りは彼女ができなかったことか?(笑)
でもそないなことはちっちゃな問題で(ん?大きな問題?(笑))
東北で出会った皆さんの温かさに触れることができたことで楽しかった3年間でした。
この場を借り言わせていただきます。
本当にワシと出会ってくれてありがとう
優しく、ときにはいじって接してくれてありがとう。
ちょうどこれからもっともっと楽しくなるだろうというときに、地震で大変な思いをしているときに、転勤で仙台を離れてしまうのはとても残念で仕方ありません。
ですが今回のことで今までの縁がきれるわけでも、なくなるわけでもないと思うのでこれからもどうぞよろしくお願いします。
また関東に来た際は連絡くださいね。
是非会いましょう
本当に3年間弱ではありましたがお世話になりました。
東北もみんなも大好きさー(>3<)
早いもので3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震から1ヶ月が経ちました…仙台市内は震災前までとはいかないものの、徐々に活気や、物流がある程度回復してきて落ち着きを取り戻しつつあります。
ですが1ヶ月たった今でもライフラインが完全に復旧に至っていなかったり、避難所暮らしの方が大勢いらっしゃったり…なくなられた方はもちろんのこと、行方不明者もまだまだたくさんおられます。
なるたけ早い復旧を望むばかりです。
そんなまだまだ安定していない状況の中ワシはというと、転勤のため今日宮城県仙台を後にし、今関東へむけ走っている高速バスの中におります。 東北道…開通したとはいえまだまだ地震の傷跡があちらこちらに残っており、今回の地震がどれだけ大きかったのか
と思い知らされます。
こんな状況下において東北の宮城の復興のお手伝いをやらないまま関東へ行くのはなんだか逃げる気がして、後ろ髪をひかれる思いですが、関東にいったあとでも少なからず何かしら力になれることもあるとおもうので遠方よりお手伝いできればと思っております。まぁ体は遠くても気持ちは近くにいるつもりです
ふと思いおこせば仙台に来たのは3年前の2008年1月…
それも急な人事異動でした。通常であれば春などにあるはずなのに1月1日付けでの異動命令
まぁそんな急な人事異動がでたのも、ワシが07年11月に08年春に会社辞めると言ったことも関係あるのかもしれんが…
03年に入社しずっと東京本社勤務でほぼ休みなく残業ばかりの生活が続き5年目に、耐えきれなくてじゃっかん壊れた時期がありました。
布団に入っても眠れない日々。職場に行くものの常に苛々していたり、時に凹んだり気持ちの浮き沈みが激しく何事もどうでもいいや的な感じになってました。そのときの口癖が『もうどうでもええよ』だった…
そんな中の仙台への転勤
当初はこの上司A(←再登場(笑))何いよるん?アホか!ともおもってましたし、ワシが辞めたいと言ってることは知らないのか?って聞いたら一言『知らん』この一言でコイツに言っても無駄なんじゃと思ったことを今でも覚えてます。
命令を伝えられたのが、12月も半ばを過ぎたあたりであったのと、転勤は絶対命令であったということもあり、ドタバタしてるうちに仙台に来てしまった…
でも今思えば仙台に来てホンマにえかったなって思ってます。
東京にいた頃とは違い土日はほぼ休み。残業もかなり減りとプライベートな時間が増えていきました
手取りの給料は減りましたが
ただ仙台のお店が閉まるのがすごい早かったため仕事を終えたあと街中でても入れる店もないっていう印象はありましたが(笑)
初めの頃はこちらに友達が誰一人いなくて寂しい思いをしましたが、コミュニティー等入って飲み会なり参加していくにつれて友達もできてきました。
それに土日に時間が作れるようになったので学生の頃からやっていたバレーボールを再びやりはじめたり、ジム通い、バスケやらフットサルにも手だけでなく足も出してみたり…
また各種イベント毎への参加してみたりなど暮らしていけば行くほど知り合いや友達が増えていきました
まぁ途中むしゃくしゃして友達をなくしかけたこともありましたが
でも今思えばいい思い出です。
仕事のほうもプライベートに時間を作ることができ、心にゆとりができていたこともあってか、うまいこと順調に仕事ができました。
バランスの大切さをしりました。
今までの人生で一番高い買い物として車を購入したり、お洒落家具の購入…物もあまり減ることなく増えていきました(笑)
街中も、パルコができたりアウトレットモールができたりと景色が毎年変わっていきました。
なんやかんやで東北で過ごしてきた3年間はとても早くあっちゅうまじゃったと感じます。それに日々とても充実できたと思えた東北ライフでした。ただ唯一の心残りは彼女ができなかったことか?(笑)
でもそないなことはちっちゃな問題で(ん?大きな問題?(笑))
東北で出会った皆さんの温かさに触れることができたことで楽しかった3年間でした。
この場を借り言わせていただきます。
本当にワシと出会ってくれてありがとう
優しく、ときにはいじって接してくれてありがとう。
ちょうどこれからもっともっと楽しくなるだろうというときに、地震で大変な思いをしているときに、転勤で仙台を離れてしまうのはとても残念で仕方ありません。
ですが今回のことで今までの縁がきれるわけでも、なくなるわけでもないと思うのでこれからもどうぞよろしくお願いします。
また関東に来た際は連絡くださいね。
是非会いましょう
本当に3年間弱ではありましたがお世話になりました。
東北もみんなも大好きさー(>3<)