



来日の際、必ず立ち寄った京都のデヴィッド・キッド邸(九条山)
ボウイの隠れ家とも呼ばれたが、住人はキッド氏と森本康義氏、そしてKYOKOさん。
今は懐かしい。
近くの車庫にはクラシックタイプの黒いキャデラックが待機していた。
僕のボスだった森本さんから「キャデの運転、練習しておくかな」と軽いタッチで
指示を受け、東山ドライブウェーを将軍塚まで走った。
それから1週間ほど後だったか、「俵屋にボウイとイマン(夫妻)が来てるから
車で迎えに行って、あとで○○まで乗せてきてもらえる」
と、ボス。
京都の道は狭い。
緊張しながらハンドルを握り無事俵屋さんに到着、ボウイ夫妻を乗せて夕暮れせまる東山に
向かった。
山道は曲がりくねったカーブが続き、深まる闇を縫うように走り
ようやくたどり着いた山中のなかのひっそりとした「料亭」。
しかし、その門をみてドキッとした。
・・・「せ、狭い」・・・・。
目測では、このキャデラックがギリギリ通過できるか否かの幅だった。
しかし気合いを入れてアクセルを踏む。
両サイドの空きは左右とも15センチほどか?
呼吸は止まったが、ぶじ通過、
ほっと胸を撫で下ろしボウイ夫妻を降ろして、車をユーターン。
そんな緊張の日々が、丸々10日間、続いたのである。
(続く)

夫妻が宿泊した「俵屋」さん。

私が撮影したデヴィッド・ボウイとボス(昨年7月他界した森本康義氏)と恭子さん(左)。
このあとボスから「いづれボウイの写真集を出そう」と打ち合わせた。
懐かしい想い出である。
(1992年1月末)