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「北越」 「いなほ」 などからの撤退で、その去就が注目されている485系。画像はその原点となる481系になります。 “赤ヒゲ” なし、真っ赤かのスカートなど、どれを取ってもまったくのオリジナルスタイルということになりますが、まさに 「Starting Over」 という形容がピタリとハマる画像と言えるでしょう。
 
昭和33年に 「こだま」 としてデビューしたモハ20系 (151系→181系) は、大好評の中で次々と増備されて、東京-大阪間の特急に充当されていきました。さらに昭和37年には新潟地区向けに耐寒耐雪構造と勾配用抑速ブレーキを持った161系が登場して 「とき」 として活躍を始め、電車特急が勢力を伸ばしつつありました。
そんな中、北陸本線では昭和32年に交流で電化されて、以降、順次電化区間は延伸されて昭和39年には富山まで電化されました。その前年から大阪-金沢間に471系を使った電車急行が運転を開始しますが、いつしか 「北陸にも “こだま形” 特急電車を」 となり、電化が進むにつれてその機運は一層高まります。
そこで、昭和39年に開業する東海道新幹線に接続して名古屋や大阪から北陸方面を結ぶ特急電車の新設が検討され、151系のボディに471系の足回りや機器類を組み合わせた格好の新しい特急電車481系が登場しました。しかし、新幹線の建設に神経を注いだせいか、481系の納期が大幅に遅れ、当初は東海道新幹線と同じ10月1日ダイヤ改正からデビューさせる予定でいたのが延び延びになり、結局、年の瀬も押し迫った12月25日から 「雷鳥」 と 「しらさぎ」 で481系はその第一歩を記すことになるのです。
 
481系の第一陣は41両で、向日町運転所 (大ムコ~現在のJR西日本吹田総合車両所京都支所) に配置されました。当時の向日町には151系 (後に主電動機の換装で181系に改称) も配置されていたことから、識別の意味も含めてスカートの色を赤一色に塗りたくっていました。また、当時はまだ電動行き先方向幕は準備工事状態で、方向幕の位置には差し込み式のサボ受けが設置されていました。
この481系は、北陸方面の特急のみならず、新幹線接続で山陽・九州方面の特急にも使用されることが決まっていたため、第二陣の56両が追加発注され、翌40年に登場しました。これには 「つばめ」 「はと」 に使われて、181系を使用していた 「しおじ」 とともに、山陽特急の主力の座を守り通すことになります。この増備車からヘッドライト上部に赤いライン、通称 「ヒゲ」 が書き込まれるようになり、さらにスカートも赤一色からスカート上部にクリームのラインを入れるスタイルに変更され、初期ロットのクハも後々、この仕様に塗り直されることになります。私的には 「ヒゲ」 と言うよりも、 「まゆげ」 だと思っているんですけどね。
 
以降、東北向けの483系や三電源の485系、碓氷峠用の489系と合わせて一大勢力を築き、昭和50年代以降はブルートレインとともに鉄道界のアイドル的存在だった 「エル特急」 の主力車両として人気がさらに拡大。北は北海道から南は西鹿児島まで四国を除く全国各地でその姿が見られました。
 
481系は初期と第二次ロットの26両のみで製造が打ち切られ (付随車は481系をそのまま名乗っている) 、以降は485系に一本化されることになりまして、50.3改正以降は九州の鹿児島運転所 (鹿カコ~現在のJR九州鹿児島車両センター) に集中配置され、九州内の 「有明」 「にちりん」 に使用されますが、JRには継承されず、昭和60年度に形式消滅してしまいます。
 
画像はホントにデビュー間もない頃の 「しらさぎ」 なんですが、前述のように赤一色のスカートは、程なくしてクリームのラインが入れられるようになったのでかなり貴重な姿。それがカラーでとなるとその希少性はさらに倍増されます。デビュー当時の481系 「雷鳥」 「しらさぎ」 は各媒体でも登場していますが、その殆どが白黒ですからね。これもまた 「伝説の1枚」 になろうかと思います。
 
【画像提供】
は様
【参考文献】
鉄道ピクトリアルNo.821、897 (いずれも電気車研究会社 刊)