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583系の寝台特急 「なは」 が終着を目指してラストスパートをかけています。
撮影は1981年だということなんですが、この頃の 「なは」 は京都発着じゃなかったかな?
調べてみると、 「なは」 が583系に置き変わって夜行列車になったのが昭和50年のことですが、その時は新大阪発着でした。京都発着になったのは53.10改正からで、それまでの京都発着だった 「明星」 が愛称を変更したものです。55.10改正で再び新大阪発着に変更され (これも 「明星」 の愛称変更によるもの) 、59.2改正で583系から24系に置き変わって、ブルートレインの仲間入りを果たします。平成17年からは再び京都発着となって、平成20年の列車廃止まで京都発着は継続されました。
また、使用車両も頻繁に置き変わったのも 「なは」 の特徴で、昭和43年のデビュー時はキハ82系、電車化されてからは485系 (481系も) 、前述のように昭和50年からは583系 (581系も) 、そして昭和59年から廃止になるまでは24系25形が使われました。平成17年から 「あかつき」 と併結されるようになったので、てっきり14系が使用されたのだと思っていました。国鉄時代の14系と24系は似て非なるもので、互換性がなく、併結運転は不可能でしたので、その先入観があったのでしょう。
 
「あれっ!? 先頭車のクハネ581が何かおかしい。よく見ると非貫通になっているじゃん。クハネ581って、貫通式じゃなかったっけ・・・?」 と思われる方も多いのではないでしょうか。
確かに画像のクハネは非貫通ですよね。増備車・・? という見方もあるのですが、実はこれ、583系フリークの間では伝説的な車両でありまして、583系先頭車では唯一の非貫通車、クハネ581-7であります。新製時は貫通式だったのですが、改造で貫通扉が埋められました。
時は昭和51年9月、鹿児島本線を走っていた下り 「明星1号」 が、東郷駅を通過する際に事故表示灯が点灯し、その場に緊急停車。応急処置を施そうとしたのですが、作業中にブレーキ弁を誤ってブレーキを緩解させちゃったんですね。東郷駅は緩い勾配になっており、列車はゆるゆると動き出してしまい、駅に停車中の機関車 (ED73 1001) に追突、クハネ581-7は前頭部を損傷してしまいます。大した速度ではなかったようで、大事には至らなかったようで、クハネ581-7は廃車ではなく修繕することにしました。
元々、クハネ581やクハネ583、あるいはクハ481の200番台といった特急形車両の貫通扉は隙間風が入ると、現場サイドからの不評もあり、試行的に非貫通にしたようなんですが、クハネ581・583はこの1両だけに留まり、逆に異彩を放つようになりました。因みにクハ481もクハ381もクハ183も増備車は非貫通になりましたよね。
 
クハネ581-7は、後に近郊形のクハ715-3に再改造されて、平成10年に廃車になっています。
 
私も小学生の時にこのクハネ581-7の存在を知ったのですが、当時の私は 「貫通扉命」 。クハネ581・583は言うに及ばず、クハ481だったら200番台、クハ183だったら0番台、そしてクハ381も貫通形の0番台がそれぞれお好みで、非貫通のクハは敵意剥き出しでした。
 
まぁ、1両しかないため、見られれば逆にラッキーだったのかもしれませんね・・・。
 
【画像提供】
岩堀春夫先生
【参考文献 (記事も抜粋) 】
キャンブックス 「581・583系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
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