イメージ 1
 
南武線に快速電車が設定されたのは2011年のことですが、それ以前にも実は南武線に快速電車が走っていたのを知っているという人はどれ位いるでしょうか。運行期間が10年にも満たなかったため、印象も薄いのですが、この “元祖” 快速電車が南武線新性能化の狼煙だったのです。
 
山手線や京浜東北線を始めとして、首都圏の都市部では101系や103系などの新形車両が旧形電車を置き換えていきましたが、ローカル色がまだ色濃かった南武線や横浜線、青梅線に五日市線などは茶色の旧形電車が至極普通に走っていました。また、国鉄線のみならず、小田急や東急といった沿線の私鉄でも続々と時代の最先端を行く新車が続々とお目見えしていまして、南武線の利用客から 「南武線にも新形電車を投入して欲しい」 という要望が相次いだそうです。そこで昭和44年12月から運行を開始した快速電車に101系を投入して、南武線の新性能化が始まりました。当然のことながら、新製投入ではなく、中央線からの “貸し出し名義” で投入されたもの。
朝のラッシュ時には普通列車にも使用されたようですが、基本的には快速専用。
当時の南武線快速はデータイムのみの運転で、川崎-登戸間で折り返し運行。途中の停車駅は武蔵小杉と武蔵溝ノ口のみで (現在の南武線快速は川崎-立川間で運行していますが、快速の運転は川崎-登戸間で、登戸-立川間は各駅停車。そして途中の停車駅は鹿島田、武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝ノ口) 、列車本数が現在と比べても圧倒的に少なかったことから、途中停車駅も少なく設定出来ました。また、画像のように、当時の快速には中央線の特別快速のような大きなヘッドマークが取り付けられていました。 “きいろいでんしゃ” だというだけで総武線の快速だと思った方は、ちょっと残念ですね。113系 (本物の総武線快速) の立場がないじゃん・・。
 
しばらくの間、中央線から借りた1本のみで運行してきましたが、この頃から沿線に人口が増え始め、昭和40年代後半になると乗車率が軒並み200%を越える状態になり (登戸-尻手間の上り電車を対象に調査) 、昭和47年から101系が本格的に投入されるようになりました。この時投入された101系は、6両編成が5本、4両編成が3本の計12両。4両編成があるのは稲城長沼-立川間でホームの有効長が4両マックスだったためによるもの。6両での運転は稲城長沼までで、2両を分割・併合していたそうです。しかし、これは効率の良い運転方法とは言えないというのは国鉄でも理解していたようで、稲城長沼-立川間のホーム延長と、全列車の6両編成化を実施することになり、昭和52年に稲城長沼-立川間のホーム延長工事が完成し、全列車の6両編成化が完了。そして翌53年7月には南武線の車両が全て101系に置き変わり、新性能化が完了しました (支線は除く) 。しかし、皮肉なことに、その年の10月に快速が廃止されてしまいました。
 
南武線の101系は、投入当初は前述のように中央線快速から借りた車両を使って運行していたため、車体カラーはオレンジでしたが、本格的に投入が開始されてからはカナリア色になって、それがそのまま南武線のラインカラーになりました。そして中央線から移転してきた冷房改造車が多く含まれ、後に関東における101系の冷房車は全て南武線に集められました。
さらに101系の最後の活躍場所が南武線であることも忘れてはなりません。
17m級クモハ11+クハ16の2両編成でピストン輸送を続けていた尻手-浜川崎間の南武支線に101系が投入されたのは昭和55年のこと。その当時、新性能電車で2両運転が出来るのは101系だけでしたが (103系もクモハ103とクモハ102がありますが、クモハ102は地下用1200番台のみの設定で、地上用と地下用では互換性が無く、混結が出来なかったのでしょうか)  、もし、置き換え時に105系があったら、105系投入も検討されたのではないでしょうか。尻手-浜川崎間でホームの有効長を1両分長くすれば、103系の3両編成というのも視野に入ったんでしょうけど、 「3両にするほど乗客が増えることは無さそうだし、2両で十分事足りる」 と国鉄も考えたんでしょうね。実際に私もJR後に南武支線には乗りましたけど、 「2両で事足りる」 くらい、ガラガラでした。
以来、101系2両で車体色を変えたり、冷房を取り付けつつも地味ながら運転し続けていましたが、101系そのものの老朽化が著しく、山手線から転用した205系と置き変わる形で平成15年に引退、ここに国鉄→JRにおける101系の歴史は幕を閉じることになりました。現在、秩父鉄道に譲渡された101系が最後の活躍を続けていますが、今年中に引退することが決定しており、101系そのものの歴史にもピリオドが打たれようとしています。
 
今年、快速の運行が稲城長沼まで延びることになったそうですが、ちまちま延ばすよりも一気に立川まで快速運転は実施した方が良いと思います。
 
【画像提供】
ジ写真部様
【参考文献】
鉄道ピクトリアル No.874 「特集 101系電車」
鉄道ピクトリアル No.888 「特集 JR南武線・青梅線」
共に電気車研究会社 刊