流産の記事って、読みたくない人もいらっしゃると思います。
しばらく気持ちの整理ができるまで、流産の記事を書きます。
その時は、『★流産:◯◯◯◯★』というタイトルにするので、そこでひきかえしてください。





昨日の夕方、短大の頃の友達、トチから電話がありました。

トチは今は二歳半の双子のママです。

そして、トチも流産の経験があったのです。

トチの場合は、双子ちゃんが生まれた時に帝王切開での出産でした。

新しいあかちゃんの出産が以前の出産から一年経っているかどうかが微妙な時期だったため、母体の安全を考慮して堕ろすしかなかったそうなのです。

これは、トチ夫婦の子供の計画性がなかったということも原因だったと言って居ました。

でも、トチも精神的なダメージはやはり大きかったそうです。

トチの旦那さんとも、喧嘩になったこともあったそうです。

これはしょうがない事なのだと思うのですが、赤ちゃんは女性の身体に授かるものなので、男性には分からない気持ちも多いと思います。

『今回の赤ちゃんが流れ出しまったことは"しょうがない。"』

『まだ若いんだから、"また"すぐに赤ちゃんはできるさ!』

『またきっと"戻って来てくれるさ!"』

この言葉は、元気付ける言葉の様に聞こえますが、実は傷つける言葉にもなります。

なぜかというと、心拍が確認できなかったとしても、赤ちゃんが生まれなかったとしても、育てることができなかったとしても、一つの命が自分のお腹のなかに宿ったことに代わりがなく、自分の子供に替わりがないからです。

他の人からみれば、心拍もなく、ましてや生まれてこなかったものは、命とも認め難い人もいるみたいですが、一度宿った命は母親にとってみては大きなものなのです。

だから、もし次に新しい命を宿ったとしても、私は今宿った赤ちゃんとは
違う子だと感じると思います。

(もちろん、一度天国へ戻った赤ちゃんが戻ってくる場合もあるとおもいます。)

トチもそう考えて居たみたいです。

でも、この気持ちは実際に経験した人にしか分からない考え方なのかもしれません。

だから、トチは旦那さんと考えが食い違い、喧嘩になることもあったそうです。

そして、理解してもらうことは難しいと考えて、おろした日を命日とし、自分だけはその子のことを覚えておくということにしたそうです。



これを聞いて、私も少し気持ちが救われました。

私の気持ちを理解して、そしてわたしもそうだったよって言ってもらえた事で安心出来ました。

そして、この電話があったから、私はこの後にカワズさんへわたしの気持ちを伝えようとおもいました。

トチの様に、わたしの気持ちを理解してもらうことはできないかもしれないけれど、知っていて欲しいと思ったのです。

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