また戦いごっこをしよう!(ペルテス病闘病記録)

また戦いごっこをしよう!(ペルテス病闘病記録)

ペルテス病の息子が、元気に走り回れるようになるまでの記録
※このブログは、ペルテス病の記事のみ更新していきます

「ペルテス病」完治までの記録


2008年12月、当時8歳(小1)だった息子がペルテス病になりました。

骨が壊死していく病気、ペルテス病。

しかし、かならず治る病気でもあります。

息子は右足に発症し、即両足装具、車椅子での生活となりました。

学校生活は、介助員の方に付いていただき、、また多くの方にサポートをしてもらい、無事過ごすことができました。

2011年、骨の壊死、その後の骨の再生がほぼ終わり、装具と車椅子なしで生活してよいことになりました。

体育の制限もなくなり、他の子と同じ生活ができるようになりました。

2012年2月現在、ほぼ完治し、今では月に1度のリハビリに通うのみとなっています。



もともとこのブログは私の日記でしたが、途中からペルテス病の闘病記(また戦いごっこをしよう)に変更しました。


今回、私の日記部分は削除し、ペルテス病のブログのみ編集しました。


お子さんや知人がペルテス病になり、どうしていいかわからない方の、参考&安心材料になってくれればと思います。





ちなみに、ブログ名がなぜ「また戦いごっこをしよう」かというと・・・


戦いごっこが大好きでよく「戦いだ!」と向かってきた当時8歳の息子。

一方面倒くさがりの私は「あとで」とあしらってばかり。

そんな息子がペルテス病にかかり、歩くことができなくなってしまった。

もっと元気なときにたくさん遊んでやればよかったと、今とても後悔している。

3~4年車椅子での生活となった。

再び息子と戦いごっこができる日を夢見て、ペルテス病との闘病生活を中心に記録していこうと思う。



という理由です。

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お久しぶりです。

今日は息子のペルテス病の経過を診る、3年に一度の受診日でした。

息子は現在、痛みや違和感もなく普通に生活しているが、実際にはどうか。

オスグッドもその後自覚症状はないものの、どうなっているのか。



病院に行くと、先生は開口一番

「大きくなったね〜」

3年ぶりの診察。

しかも小学1年からお世話になっており、今は高校3年です。やはり小さい時の印象が大きいのでしょうね。



さて診察結果は


向かって左が右足。病気の足です。
反対の足に比べ骨頭がすっぽり収まらず、はみ出して再生してしまっています。



また、この部分の湾曲の角度が違っています。



さらに、右と左で骨の太さや骨密度が違っています。病気の足の方は、細く薄い感じです。



これらは30〜40代になった時、痛みの発症する可能性があり、そうなった時に人工関節などの処置をしなければならないとのことでした。


しかし、長く治療してきて、今この状況なのは想定内。

良い状態で、問題はなく、もう経過観察しなくても大丈夫と言われました。

オスグッドも問題ないようです。




治療が終わりました。

小学1年から11年続いた治療もようやく終診です。



今日は息子の18歳の誕生日でした。


この上ない誕生日となりました。

木、金曜日と高体連がありました。

高3の息子にとっては最後の大会でした。




思い返せば高校入学してすぐ。

中学でソフトテニスを頑張っていたので、当然同じ部活を続けるだろうと、私は勝手に思っていたのですが…

「俺、部活やらないかな」

と、学校から帰ってきても、なんとなくだらだら、ごろごろ過ごしていました。



小学から中学にかけて、ペルテス病がある程度収束したものの、オスグッドを発症。

運動はできるが、リハビリを繰り返し、家で過ごさなければならないということが多かったのもあり、なんとなく家にいる過ごし方が染み付いていたのでしょう。



部活やるもやらないも、スポーツでも文化部でも、好きにしたらいい。

息子の自由にさせました。



結果的に、約1ヶ月後、当時高3でソフトテニス部主将だった兄の影響、級友からの強い進めもあり、ソフトテニス部に入りました。



1、2年の頃は、もうやめるかな、次の試合終わったらやめる、など、よく弱音をはいていました。


しかし、3年になりキャプテンを任されたことで、一転。

練習メニューを考えたり、後輩に指導したり、前向きに部活に取り組んでいました。


全道大会にも何度か出場するなど、結果も伴いました。




そして最後の大会。

平日なので私は行けませんでしたが、妻が応援に行き、逐一連絡をくれました。



結果、全道大会決めの試合でフルセット負け。

息子の部活は終わりました。




息子には高校3年間、好きにさせようと思っていましたが、中学でもがんばっていたソフトテニスをやってほしいというのが、私の本音でした。


3年間続けてくれて嬉しかったです。

たくさん応援に行き、私も妻も楽しみました。

息子が部活を通して、こんな表情を得ることができ、ほんと良かったです。


高3の息子は、3年に1度ペルテス病の受診のため、病院へ通っています。


今年がその年にあたるので、先日妻が息子に、夏休み病院へ行くことを告げました。


息子は、


「えっ?、まだ病院行かなきゃならないの??」


という返事



で、



「今年、受験だからパス」


と、まあ、あっさりした反応。



普段全く問題なく過ごしているので、息子の気持ちは分かります。

しかし、40になる頃、人口関節にしなければいけないかもしれない。

まだ定期的に診ていかなければ…と主治医には言われています。



おそらく来年、息子は高校を卒業し、家を出るでしょう。

これからは、息子自身が、現状と今後の治療に向き合っていかなければいけません。



治ってくれていたらいいですが、私たち親にとって、また息子にとって、人生の岐路にあたる大切な受診であることを自覚して、診察に臨まなければと思っています。

お久しぶりです。

 

3年越しの更新です。

 

息子は高2になりました。

 

今はペルテス病やオスグッド病による後遺症もなく、いわゆる「普通」の日常を送ることができています。

 

部活動はテニスをやっています。

 

キャプテンとしてがんばり、日々練習に明け暮れています。

 

 

さて、先日こんなことがありました。

 

息子が小1でペルテス病を発症し、病院に通い始めて間もないころ、やはり同じ病院に通う年齢が同じくらいのペルテス病の子がいました。

 

リハビリが一緒になったとき、すぐに友達になることができました。

 

その頃のブログ記事です ↓

 

2009年3月16日のブログ記事

 

 

1~2年はリハビリで会うたびに仲良くしていたようですが、お互い順調な回復を経てリハビリの回数が減るとともに、会うこともなくなっていました。

 

 

 

それから何年もたち、今を迎えているのですが・・・

 

先日、なんと、その子が同じ高校の3年生であることが分かったのです。

 

しかも、お互い分からず、校内で会話をする機会もあったようです。

 

なんという偶然でしょう。

 

その子も普通に歩き、生活をしているようでした。

 

その頃のことが思い出されました。

 

 

 

当時はお互い装具を付けて、懸命にリハビリに励んでいた小さな二人。

 

今は体も大きくなり、高校生活を存分に満喫しています。

 

当時のブログを読み直してみると、先が不安で苦しかったことが思い出されます。

 

でも、完治しました。

 

当時一緒にがんばっていた子も同様に。

 

 

 

この病気は必ず治ります。

 

今闘病中で苦しんでいる方、そして不安で胸が張り裂けそうな家族や保護者の皆様に、そのことをお伝えできればと思います。

 

 

昨日は1年に1度の定期検診でした。






診察結果はは良好とのこと。




向かって左(Rの方)がペルテス病の足の骨。


骨頭は正常な方(向かって右)と比べて肥大はしているものの、球形を作ることが出来ているのでしばらくは大丈夫。



ただ・・・




このように、骨頭とすぐ横の骨との距離&角度が違うように形成されたため、数十年後、ここの部分の筋肉に違和感が生じることがあるかもしれないと言われました。



ペルテス病は今後も長くうまく付き合っていかなければならないのは、これまでも聞かされていたので、特別驚くようなことではありませんでしたが、やっぱりか・・・と言う感じでした。




中2になった息子も、以前よりは病気について理解しているようでした。




ちなみに、併発したオスグッドも大丈夫でした。


突出した骨は治らないようですが、このまま運動や生活を続けてもいいようです。



とりあえず安心できた定期健診でした。


うれしいことがあったので、久しぶりの更新をします。




まずは近況報告です。



ペルテス病の診察は今は1年に1度の定期観察になっています。


特段日常生活の制限はありません。



併発してしまったオスグット病の方は、週1回のリハビリを続けていましたが、痛みはほとんどなくなりました。


そこで、一部あった運動制限もなくなり、リハビリも通院ではなく、家で行う形になりました。



スポーツ後と、寝る前の膝のアイシング。そして同じく寝る前のストレッチは毎日行わなければなりませんが、それ以外は全く普通の生活を送ることができています。



ただ、残念ながら膝にできたでっぱりは元には戻りません。


一生このままかと思われます。




さて、今日うれしいことがありました。


息子は今年中学生になり、ソフトテニスをはじめました。


今は他の子と同じメニューを行うことができ、朝連をはじめ、とにかく部活にのめりこんでいます。



そして今日、ソフトテニスの新人戦・十勝大会でした。


団体戦が行われたのですが、息子は団体メンバーに選ばれ、見事優勝することができました。


息子の中学校は十勝チャンピオンになったので、12月に行われる北海道大会への出場権を獲得しました。





人生初の金メダルをもらい、とてもうれしそうです。


息子がスポーツでこの笑顔を見せる日が来たこと、親としてとてもうれしいです。


ご無沙汰しております。


息子の近況報告をしたいと思います。



オスグット発症からもうすぐ1年。


今は週1回のリハビリに通っています。




①左ひざのオスグットを発症した部分のケア。


②ペルテス病の治療で歩いていなかったため、足につくべき筋肉がついておらず、その対処。(必要な筋肉をつける)


③以前も書きましたが、3年間歩いていなかったため、歩くときのバランスが悪い。下半身と上半身をうまく使って歩けるようになるトレーニング。(体幹トレーニング)




この3つを目的として、毎週リハビリに通っています。



息子はこの春中学生になりました。


当然体育や部活は制限しながら行っています。


ちなみに、部活はテニスを始めました。




昨日、リハビリでした。


そこでようやく回復の兆しと治療の目処がつきました。




①のオスグットによる膝の痛みは、今はほぼなくなりました。


膝に「ぼこっ」とした出っ張りは依然ありますが、これはもう一生治らないようです。


痛みがなくなったので、剥離の心配はもうないだろうとのことでした。


よって、①は良くなりました。




②は、まだまだ筋肉はつけなければならない。


しかし、運動量を増やしても、膝への負担はそれほど大きくない程度の筋肉はついてきている。


よって、運動制限は徐々になくしていくことになりました。




③は、大分バランスがとれてきたようです。


以前はしゃがむのにもバランスを崩していたのが、今は片足でもできるようになりました。






目安としてあと1ヶ月、週1回のリハビリを行い、そこで今の状態をキープできていたら終了にしましょうとの話をいただきました。




小1でペルテス病を発症し、車椅子に乗っての制限された生活。


小4で車椅子なしになったものの、後遺症により運動制限の生活。


そして今回、ようやく制限なしの生活に戻れる目処がつきました。




リハビリ室を出た時、息子は恥ずかしそうににやっとしていました。


毎日夜にリハビリをし、膝へのアイシングをし、週1回病院に通い・・・


がんばりが報われたうれしさが表情に表れたのでしょう。



昨日はリハビリ後、本屋によって欲しがっていたマンガを買ってやりました。



昨日はリハビリでした。


息子は1週間に1度のペースでリハビリに通っています。



1か月前、痛みが和らいできたので運動は少しずつOKになりました。


休んでいたサッカーの練習も許可が出て、試合含め参加していました。


しかし、またもや痛みが再発。


診てもらうと・・・・


剥離の可能性があるので、これから2か月ほど体育以外の運動禁止となりました。


当然またサッカーはできません。




痛みの原因はオスグット病ですが、息子の場合、ペルテス病で3年間車椅子に乗っていたので、膝を伸ばして歩く習慣がなく、常に膝を曲げた状態で歩いたり走ったりしているのだそうです。


表現は良くないですが、昔の類人猿、チンパンジーが直立歩行しているのと同じような状態です。


結果、膝の周りに筋肉がつかず、膝に直接負担がかかるため、重いオスグットを併発しているとのことでした。


つまりペルテス病の影響が、オスグット病につながったというわけです。


膝を伸ばして歩くことができないと、今後膝以外にも、腰や他の部分にも悪影響が出る可能性があると。







ペルテス病はかなり良くなってきましたが、完全な普通の生活に戻るには、まだもう少し時間がかかりそうです。


ペルテス病とオスグット病の因果関係も分かりました。


もう少し、完全なる回復目指して、息子には我慢&治療をさせます。




リハビリの先生にも言われました。


中学生になって運動制限なしでの生活を望むなら、今ここを耐える(運動禁止)しかないです。




3年間の車椅子状態を考えたら、2ヶ月間なんてあっという間。


がんばります。


ご無沙汰しています。



息子は小6になりました。



ペルテス病の方は、骨頭の大きさは肥大してしまいましたが、とりあえず再生は終わり、今は落ち着いて生活しています。



念願のサッカーをすることもでき、動ける喜びを満喫しておりました。





ところが2、3日前、息子が膝の痛みを訴えてきました。



見ると左足の膝下あたりが結構な大きさに腫れています。



心配だったので本日、主治医の先生のところで診てもらいました。



結果は・・・・オスグット病でした。





X線の写真を見ると、右足の骨が左足に比べて細くなっていました。



これは、ペルテス病で悪かった右足を未だにかばう癖がついており、右足をあまり使っていない。



つまり左足に必要以上の負担がかかっているのだそうです。



結果サッカーでも左足を酷使してしまい、オスグット病になってしまったのだろうとのことでした。



写真から、素人の私の目にも膝の軟骨が剥がれているのが分かりました。



この病気はこの時期の成長期の子に多いようで、私の知り合いの子も数名オスグット病になっています。





しばらくは、足を安静&週2回のリハビリ&アイシングの生活です。




来週サッカーの試合で遠征予定だったのですが、もちろん参加は不可。





明日から小学校は2学期がはじまるのですが、しばらく体育を含め運動は禁止。







ペルテス病の時の、小1~小4までの車椅子生活を考えれば期間は短いですが・・・





また最低1ヶ月の制限のある生活となってしまいました。






再び試練を課されることになりました




ご無沙汰しております。



息子の足は順調に回復しています。



サッカーの練習も他の子と同じメニューをばんばんこなせるまでになりました。



今は本当に何不自由なく生活ができています。





今日は小5の息子をスキーに連れて行きました。



ペルテス病治療中は、この息子だけスキーをさせられずに、ソリ遊びをさせたのが思い出されます。



歩けるようになったら、絶対にスキーをさせてやると約束し、それから毎年スキーに行くのが恒例となりました。






2011年のスキーブログへ



2012年のスキーブログへ





スキーの記事を読み返すと、回復してきたのがあらためてよく分かります。



うれしいですね。










さて、今年はと言うと・・・ 


                   



また戦いごっこをしよう!(ペルテス病闘病記録)


快晴のスキー日和の中、楽しめました。










また戦いごっこをしよう!(ペルテス病闘病記録)



また戦いごっこをしよう!(ペルテス病闘病記録)



また戦いごっこをしよう!(ペルテス病闘病記録)



また戦いごっこをしよう!(ペルテス病闘病記録)



また戦いごっこをしよう!(ペルテス病闘病記録)



滑り方、上達しましたよ。








また戦いごっこをしよう!(ペルテス病闘病記録)


これまた恒例の休憩タイム。



今年は味噌ラーメンなんか食べてます。



食も太くなりました。









普通に歩いたり、自分の意思で動いたりできることのありがたさ、素晴らしさ。



病気の回復とともに、その気持ちが自分の中で薄れつつあるのが分かります。



息子の病気を通して学んだその思いを、こうして時々過去を振り返ることで、忘れないようにしなければなりません。




そのためにも、この恒例スキーは続けて行きたいと思います。