最初にはっきり書いてしまうと、前記事、「ありがとうって言おうぜ!」って伝えたいために書いたブログではありません。


実は、後半部分「ありがとうと言わなくてもいいシーン」のことを書きたかった。


先日話題になった、伊是名さんのJR東日本の電動車椅子への対応についての発言をご存知でしょうか?

とある駅での駅員さんとのやり取りを、納得のいくものではなかったと怒りを込めて発信されていた。


車椅子や視覚障害者に対するインフラ…駅のホームドア設置など、特に公共交通機関を使った外出に関わるインフラについて常に気になっている私は、そのニュースを目にして様々な考えが浮かびました。


炎上とも言える状態になったその記事にはマイノリティ・マジョリティの方たち共に多くコメントを寄せていたのですが。


酷い。


それはやまゆり園の犯人の思想に繋がるものではないのか。

そう思わざるを得ないものまである。

「やめてくれ。あなたのような傲慢な人のせいで私たち他の車椅子の人まで邪険に扱われるじゃないか」というようなものもある。


感情と感情のぶつかり合いになってしまったのかしらとため息と一緒にコメント欄を閉じて、別な感想を呟いた方へ寄せられたコメントに目をやる。

…なんだこれ。

「私なら感謝する」「感謝できない可哀想な人」


違う。違う。乗客が感謝しても感謝しなくても動いているのが電車なんだよ。公共交通機関なんだよ。

「感謝の心を持っていれば誰かが助けてくれる」こんな人の感情に頼ったその場限りの不確定なものは合理的配慮・差別解消じゃないよ。


人には性格のいいみんなに好かれる人と性格悪くてみんなに嫌われる人がいたりする。一般的にはどんな性格をしていても、誰もが電車に乗れるよね?車椅子を利用する人は性格悪くてみんなに嫌われたら電車に乗れないの?




私は答えを持っていません。


ただ、考えてる。

考えて言葉にすることは続けていきたい。

先人たちがそうしてきてくれたから今の環境があるのだと思うから。


一つだけ強く思うのは、「私も我慢してるんだからお前も我慢しろ」とは絶対言いたくないな、と。

「それ私も我慢してた!変わったら…変えられたらいいよね」って言いたい。



ちょっと救われた気持ちになった記事をリンク。


https://globe.asahi.com/article/14328837 


https://globe.asahi.com/article/14328837



※ ごめんね、今日のブログに関してはコメント頂いてもきちんとお返事できる自信が無いのでコメ欄閉じときます。