190.「陸は海に対して有り難く思わなければなりません」 | 御言 missing link

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 興南からの解放後、文先生が釜山に到着したのは1950年、文先生 30歳のときでした。その7年後の1957年に、韓国統一教会においてある重要な出来事がありました(教会員にはあまり知られていませんが)。北朝鮮から脱北してきた車相淳という牧師とキリスト教徒約120名が統一教会に入教したのでした。この教会があった場所は、「野牧」と呼ばれ、統一教会の聖地の一つになっています。この集団はキリスト教メソジスト派の監理教であり、文先生が最初にご結婚された崔先吉女史一家が所属していた集団でした。
 当時文先生は、そこで農作業をしながら共同生活圏を造っておられました。この野牧出身の伝道師は、その後世界宣教師として活躍しました。1954年につくられた統一教会が、天使長圏のホームチャーチの出発点とするならば、次に述べるような観点から、1957年の野牧は、海洋摂理つまりオーシャン・チャーチの出発点として位置づけることができそうです。
 1950年の40年後は西暦1990年であり、50年後は西暦2000年です。1990年を超えた1991年7月1日に「7・ 1 節」が制定され、2000年を超えた2001年1月13日に「神様王権即位式」が制定されました。
 また、上で述べた「野牧」の出来事があった1957年の40年後の1997年に「7・8 節」が制定され、50年後の2007年11月23日には、麗水において「アベル国連創設記念報告大会」が開催されました。さらに、その翌年の2008年9月19日には巨文島において巨文島天正宮内的起工式が行われています。
 文先生は、統一教会史と海洋摂理史を交叉させながら、摂理的蕩減路程を歩んでこられたようです。

「先生に付き従う人たちでさえ、『なぜ頻繁に巨文島に行くのか』と言いました。釣りが好きだからですか。違います。魚の世界を解放するためであり、海の世界を解放するためであり、そして陸まで解放するためです! 陸は海の世話になりました。天から雨が降り、陸ですべての万物が蘇生するのですが、その雨は海から来たものです。海の浄水が雲になり、さすらいながらこの陸を生かしてくれるのです。陸は海に対して有り難く思わなければなりません。ですから、海と陸が一つにならなければなりません。」 (2007年2月8日 天正宮 訓読会)

 最後の
「海と陸が一つにならなければなりません」
 という言葉から、ここでいう海と陸は文字通りの意味ではないと言えます。
「魚の世界」とは信徒を中心とする対象世界全体であり、「海の世界を解放する」とは、エバを復帰し、女性を1つにすること、「陸まで解放する」は天使長圏である男性をアダムにつなぐこと、「陸は海に対して有り難く思わなければなりません」は、男性は女性に対して有り難く思わなければならないということを語っておられると捉えることができそうです。

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