お医者さんの言うことにゃ | これって闘病!?

これって闘病!?

子宮頸癌Ⅰb2でした


がん治療後の「10年生存率初集計」が話題となりましたね。

国立がん研究センター
全国がん(成人病)センター協議会


生存率とは、診断から一定期間後に生存している確率です。
5年生存率は、5年後に生きているかどうかの確率ということでしょうが、必ずしも現疾患で亡くなったケースばかりではありません。これをどう受け止めるかにもよるでしょうが、私はまあ、あくまでもデータとしての目安なのだと解釈しています。
(ちなみに、無再発生存率とコレはまた別モノ)


◆◇

私は、診断を受けたときに医師からは生存率なぞは告げられていません。

……あれ?たぶん、たぶんです。
記憶に無いだけ(記憶抹殺)かもしれないですが、自分で病気について調べたことが、今も強く印象に残っています。


初診の病院の医師は、悲壮感漂う私の「私、死ぬの?」に対して「死にませんよー」とキッパリ言いました。
その言葉で、無意識にギュっと噛みしめた奥歯と、硬くなった背中の力が、ふぅっと少し揺るんだのでした。
そして「ただ、このままにはしておけないね」とも言われました。そりゃそーだ。

その後の治療中に、心が何度も浮き沈みするたびに、私はこの言葉を幾度も思い出し、その度に励まされていたことは間違いありません。


紹介先の医師(主治医で執刀医Drタロウ)は、やたらに「バルキーバルキー」と連呼しました。
ミルキー?みたいだな、と思ったけれど、タロウの苦々しい、嫌そうな表情から、それは
、ママの味みたいに甘くまろやかな意味では無く、悪い意味なんだろうと感じました。
後に「bulky tumor」と理解した。でっかーい腫瘍という意味。

ずどーんと落ち込みました。
いや、前出の医師から腫瘍の大きさを聞いてはいたけれど、そんなにも嫌そうな、残念そうな顔で言われたら「やっぱり、すごいことになっちゃってるんだろうな」なんて思い、もー、悪いことしか想像できなかったです。ミルキーやハナマルキ(キしか合ってない)とはワケが違う。毎日が恐怖の館。


◆◇


訴訟問題になりやすい医療業界。
医師は、立場上というのもあると思いますが、概して「あらゆる可能性を想定して」説明することが多いと思います。
それはたいてい「悪いこと」だったりする。

なぜならば、患者にとって耳に心地よいことばかりしか伝えていない場合に、反して良くない事態に転がったとしたら「そんなこと言われていない!」「医療ミスだ!」等と、嘘つき呼ばわりされたりするかもしれません。そうなると、どっちも不幸としか言えないです。

おまけに、患者は驚きと恐怖で動揺していますから、説明されたことを全て正確に記憶しているとは限らないでしょう。
現に私も、先ほど言ったように、説明されたかどうかの記憶が曖昧。初老の記憶力は更に曖昧。

時には「言った」「言わない」の水掛け論が生じるかも。
そうなると信頼関係どころの話ではなくなります。

治療に当たる医師と患者は、同じ目標を共有して病気そのものや治療と向き合う必要があると考えます。そしてそれがスタート地点。
信頼無くしては成り立たない。

だからこそ、患者にとって「悪いこと」を言わざるを得ない医師も大変ね~と思います。

思うけど。

この辺って、ちょっとした「さじ加減」なのかもしれません。

「あらゆる可能性」を伝えながらも、どこかに「希望」を見いだせるような。
そんな、微妙で奥深い、絶妙な「さじ加減」。


例えば、私の場合ですが。

今の主治医のもとへ定期検診に行った、とある日のこと。

世間話の流れから「早期発見には検診は大切ですよねー」なんて言いつつ「…って言っても、私も人のこと言えないですけど~…(がん発覚前、検診が数年空いてしまったので)」と私は後悔を口にしました。
すると「ゆるりさんはもう治った人だからね、そこはもう、いいんですよ~」と、ニッコリ。

これを聞いて、思うことはきっと人それぞれでしょう。
「何を無責任なこと言ってんだよ。何かあったら責任取れよ」と思う人がいるかもしれない。

でも私は、この無責任そうで適当そうな、お気楽な言葉で安心感をもらいました。
それは、決して今の段階で100%完治とは言えないことも重々承知で、です。
言い換えれば「だからこそ」です。

バルキー腫瘍と言われる状態だったし、予後への不安は拭いきれない、まだまだ要観察状態。
「え?正常値って何?」というくらいにフラフラしているマーカー値に、いつも気持ちが振り回されそうになっています。上がるマーカー値に気持ちは反比例。

だから「治ったんだよ-」と微笑まれると、本当にそうなりそうな気がして安心します。精神衛生上、非常にありがたいです。

だけど「次のCTは造影剤して、きちんと観た方がいいねー♡」なんて、サクっと油断大敵を意味する手厳しいことを同時に言われる。
(腎機能が少々良くないので、いつもたいていは造影剤無しですが)
こうやって、安心させながらも、締めるとこは締める、みたいなさじ加減もうまい。

だから、今の主治医から直接治療を受けた訳ではないけれど、信頼できているのだと思います。
もしも、何かあっても、きっと私は主治医に対して「嘘つき!」なんて言わないと思います。

小心者で、すぐに不安になる私の性格を知ってか知らずか、定かではないけれど、うまいなぁ~、先生。


こんな風に、たいていの患者は、お医者さんの言葉で上がったり下がったりするのでしょう。

医師も人間なので、腕がいい人もイマイチな人も、説明の上手な人も下手な人も、色々いますし、相性だってある。
そこは致し方ないこと。

幸い、私は「この人が主治医で良かった」という経験をしてきました。
あ、よくブログに登場するDrタロウは、ちょっとその辺のさじ加減が、うーん!惜しい!(あくまで私の場合)という事もあったけど、なかなか良い思い出ですよ(上から目線ですかね)。


◆◇


そんな「さじ加減」のテクニックは、きっとお医者さんだけに求めるばかりでは、もちろんダメ。

思うに、患者として受け身でばかりいると、お医者さんの言葉に一喜一憂して振り回されがちだなぁ~と学んでおります。

説明されても理解しきれない事もあるし、解ったつもりで説明を受けていても帰宅してから「あれ?」と思うこともあるし、自分なりに勉強していると逆にますますクエスチョンが増えることもあるし。
けれど、解らないことは仕方ないですし、当たり前。

だからこそ、主治医であるお医者さんと何度でも話ができるならしたほうがいいと思います。
しつこくても(笑)。
それがコミュニケーションになるだろうし、そのうち、お互いの性格も解るようになる気がするのです。
それに、色んな情報が氾濫する世に中で、やはり専門家の持つ情報は信頼できることの方が多いでしょう。
それは、正しい情報を知るチャンスにもなります。

自分の病態を理解するのはもちろん、自分を取り巻く環境や、医師を含む自分の周囲の人間や、医療に関する正しい情報を知ることは大切だなぁ~と思います。

客観的に、色々な人の意見を参考にする柔軟な姿勢も必要。
頑なになると視野が狭くなりがち。

だけど同時に、アレもコレもと、むやみにそれらに振り回されない。

そうありたいなぁーと思っています。




ビビリで人見知りな私も、こんなこと考える余裕が出てきたということですかね。


20160125_140203.jpg

この景色はあの頃と変わらないはずなのに、今は明るく見えるのは、きっと自分の視点が変わったからかも。




でも振り回されたい女心♡
(^ε^)


にほんブログ村