永遠のトキ | ももクロ→エビ中→東北産の魅力

ももクロ→エビ中→東北産の魅力

ネバーランドの住人、
永遠のトキを生きる
自然体の魅力。
ももいろクローバーZ論
→私立恵比寿中学論
→いぎなり東北産論

子供時代の時間は、「永遠のトキ」です。

なぜなら、それが社会的な時間、社会的な価値観を作る自我の外側にあるから。
その制限を受けない、純粋無垢な創造力を飛ばす時間だからです。

童心は、「永遠のトキ」は、その無垢さゆえに、時には宗教的憧憬を持って見られます。

ももクロとエビ中は、そんな「永遠のトキ」を濃厚に感じさせてくれます。
思春期を迎えても、あるいはそれを越えても、無垢な心を持ち、「永遠のトキ」とのつながりを持ち続ける。

それが魅力です。
少なくとも、私が2つのグループに魅かれているポイントはそこです。

普通の意味で、かわいいから、いい子だから、頑張っているから…ではありません。



ももクロは、2012年のももクリで、自らを「ネバーランド」の創造者、守護者としました。
「ネバーランド」は「永遠のトキ」が流れる場所です。

エビ中は、「永遠の中学生」、「中人」というコンセプトが、「永遠のトキ」の住人を表現しています。

どちらのグループも「永遠のトキ」の守護者としての自覚を持っているのだと思います。



ももクロにはポケモンのテーマソングとなった「みてみて☆こっちっち」があります。
エビ中にも「サクラ・ゴーラウンド」があります。

2つの曲は、子供に向けた曲なのかもしれません。
しかし、テーマも曲調も「永遠のトキ」を濃厚に表現し、それへの憧憬を表現した曲として、思春期以降の人にも訴かけます。
ポケモンのテーマソングであろうと、なかろうと。

そういう意味で、特別な曲であって、「永遠のトキ」への感受性・憧憬を持った人にとっては、涙なしには聴けない曲です。

中川翔子は、「みてみて☆こっちっち」が泣けると言っていました。
彼女も、そんな感受性を持った人なのでしょう。
「サクラ・ゴーラウンド」の時は、学校時代の自分が、ひなたの笑顔で成仏できたと言いました。

2つのグループにとって、この2つの曲は、全然、代表曲というような曲ではありません。
でも、両グループの魅力の核心に関わる、そういう曲だと思います。



「みてみて☆こっちっち」は、「永遠のトキ」そのものを描く曲です。

この曲が短調で、どことなく悲しさを湛えているのは、「永遠のトキ」が、大人の時間によって消滅させられてしまう運命を持っていることを暗示しているからでしょう。

だからこそ、「みてみてこっちっち」と、我々大人を「永遠のトキ」へと誘います。


「サクラ・ゴーラウンド」は、「永遠のトキ」と、それを抱いてのそこからの出発を描く曲です。
同じ戸田昭吾さんが作詞した曲であり、「みてみて☆こっちっち」の続編、その完結編と解釈できる曲です。

この曲は、学校生活に重ねて「永遠のトキ」を描きます。
「回れ いつまでも」と。

そして、最後に、そこからの出発を描きます。

「じゃあねじゃなくてサヨナラ
なんだかいつもと違くない?
そんなことないよね
空に 約束の リボン 結ぼうよ
色 とりどりの 願い込め
春の 風は 心を 揺らすけど
ゆびきりの 手に
ひらり ひらり サクラ!」

こんな美しい詞があるでしょうか。

仲間と別れる時、「永遠のトキ」から離れる時、その永遠性の結実と再生を、仲間と願い、誓います。


この曲ほど、先日のエビ中の「合同出発式」にふさわしい曲はなかったのではないかと思います。

「合同出発式」はきわめて美しい式でした。
私はそれを表現できませんでしたが、この歌詞が表現しています。

「合同出発式」は、表面的なインパクトこそ小さいライブだったと思います。
しかし、これほど美しいライブには、もう、今後、出会えないと思います。
思い出すほどに美しくなる、そういうライブだったと思います。