果たして何年振りか?

献血にきた。

春先の健康診断の血液検査が

酷かったから自分なりに

対策を立て実行してきて

果たしてどう変わったかを

知りたいと思ってのことだ。


かなりの質問事項、その前に

説明してくれる人の声の小ささ、

早口な感じがちょっと辛い。


献血前の指先に針を刺す時の

痛さ!食べて良いアイスが

イマイチ…というあたりかー。


以前はアイスもも少し良い

ラインナップだったしドーナツ

なんかもあった気がするが。


まあ良いか。目的は血液検査だ。

その結果をみてガックリするか?

とにかく12年ぶりの献血は

無事終了した。

今日は午後から子どもたちの

練習試合だった。

活躍した!という子、思ったように

結果を出せなかった子、それぞれ

だっただろう。

練習と試合と。どちらも大事だ。

練習でやったことが全て試合で

出せるほどバスケは甘くはない。

でもそれは審判も、また、空手も

同じだろう。つまり良い結果に

繋げるということは難しいと

いうことだ多分。


そこに至る失敗の数々はみんなで

励まそう。次に踏み出す勇気に

繋がる声かけをしよう。それで

充分だよ。


自らの失敗に打ちのめされた

子どもに追い討ちをかける

必要は、ない。

空手も、審判も、だ。

反省して修正さて、また、次。

SNSを見ているとげんなりする。

自由な意見!それぞれで良い

はずなのに。


誰かを許さない!という意見に

ほとんどの人が賛同する場合も

あれば、そんな意見許さない!と

逆に糾弾される。

誰かを許さない!という呟きは

ほとんど愚痴みたいなもの。

もちろん本人的に、だ。

それを糾弾されて、愚痴を言ったり

吐き出しては駄目ですか?どうも

すみませんでした!みたいな返し。


自分のSNSで、それも匿名で。

何を語っても放っておいてあげれば

いいのに。味方になってあげるのも

少しだけやんわりとしてあげたら

いいのに。


許さない!の矛先はたいてい

家庭内の話しなのだ。嫁、とか

義母、とか。それを深い事情も

知らずに一方に激しく味方すると

許さないがどんどん肯定される。


自分としては、己の子どもの

連れ合いが酷い!と言うことは

自分の育てた子どもも酷いという

ことになりうる。


味方になってくれるのは嬉しいよ。

でもSNSってやっぱり怖い。

憎しみ、恨みがどんどん増して

批判されることで追い詰められて。


便利なツールは簡単に人を傷つけて

誰も何も気にしないのかな。