3月1日は、同僚くんの30歳のお誕生日。
イギリスでは、16歳、21歳、30歳と後は40、50、と特別なお誕生日として位置づけられていて
同僚くんのお友だちたちも、30歳のお誕生日はガールフレンドががんばって、サプライズパーティを企画したり、ガールフレンドがいない人でも、パブを貸し切ってパーティーしたり。
結構、がんばる日です。
同僚くんはいつものおなじみの仲間うちの中では
30歳を迎えるのはけっこう、しんがりに近くて
そのおかげで、いろんなパーティー、ガールフレンドたちの奮闘ぶりを目にしてきてて。。。
すっごいプレッシャー。
もう、一ヵ月くらい前から、プレッシャーを感じてしまっていて。
同僚くんは、「オレ、オレ」パーティーにはしたくないけど、でもできるだけたくさんのお友だちを呼びたい、mokatoraと友だちと一緒にすごしたい、
と言うのですけど
わたしはそもそも、パーティーが大の苦手。。。
最初のうちはがんばっていたけれど、
そういうがんばりは続かなくって、最近は、予定が空いていれば参加して(前もって誘われていれば、だけど。もちろん)、適当なところでおいとまして。。。と
でも、同僚くんの30歳パーティーでは、そんなわけにはいかないでしょ。。。。
だって、招かれる側ではなく、ホスト側になってくるからです。
ものすごくプレッシャーで。
さらに同僚くんは「40人ちょっと、来てくれるって返事がきた~~」なんて。
そんな人数にどうやって????
そんなわけで。
バレンタインデーがすぎると同時に
ずんずん、プレッシャーが。日に日に。
泣きついたJ女史は「いいじゃーん、楽しそうー!」と。
J女史は、もしわたしと同じ立場でも楽しめるのに、なんでわたしは楽しめないんだろう????
この違いは何なんだろう?!?!
やっぱり、わたしはどこかおかしいんだろうか。
と、自己嫌悪に陥りつつ。
それでも、何が違うんだろう。。。。と自分なりに分析してみた。
「わたしは嫌だから、やりません」というのも、もちろんひとつの選択肢だと思うし、そう伝えるべきときにはちゃんとはっきり伝えるべきだと思うのだけど
今回の場合、「嫌だからやりません」と言えないのが問題なのではなくて、
『どうして(ここまで)嫌だと思うのか』
が、わたしの今の問題なんじゃないだろうか、と。
これがクリアになれば、自然と自分がどうしたいのかがわかるんじゃないかと思い。
違い、というか、なぜ、わたしはここまでプレッシャーを感じたり、この状況を「嫌」だと感じるのか。
その理由を探ってみた。
そうすると、主に、こんな理由;
1)「できない」ことをやらなきゃいけない(と思う)のが嫌でたまらない
2)「わたしにはできない」と思っているから「できないこと」を無理に「やらされている」と思っている
3)「わたしにはできない」からやりたくない。なのにここで何もしなければ、ダメなやつ、ひどいガールフレンドだと皆に思われる…
etc etc。。。
とにかく。
わたしには無理!!!!
って、いう思いがもうアタマの中がいっぱいで。
だから、プレッシャーを感じて、フリーズするし、いやでいやで逃げ出したくなる。
そっかー、わたしってこんなに「できない!!!!」って思ってるんだ。。。。
だからこんなに「いやいや病」になってるんだ。。。。
この「いやいや病」の原因は、もしかしたらこのわたしの「できない!!!!!」っていう思いにあるのでは?
そして、この「できない!!!!!」って思っているけど、それって、本当なの???
わたし、いつもそう言いながら、なんとかやってきたよね。。。???
「できない」って思うから、つらくなるのでは??
「できない」を「できる」にすぐに変えられないのなら「できるかも」にしてみれば?
少しは気が楽かもよ??
案外、できるかもしれないのに、できないって思っているのは誰。。。???
自分なりに理由がわかると、それなりに対処法が浮かんでくる。
うきーーーーー!!!!っってなり始めたら、とにかく、「できる!」「できる!」って独り言みたいにつぶやいてみるとか、してみよう。
そうだ、松岡修造だ!!!!!
と、ここでぴーーーーーん、と松岡修造の顔がわたしのアタマにひらめく。
ま、アニマル浜口でもよかったんだけど、同じ熱血でも、松岡修造の方がわたしのタイプだしね♪
お誕生日パーティーの5日前くらいになって、ようやく気がついて。
「できる!」「できる!」をぶつぶつぶつぶつ、口で唱えながら。
そしたら、だんだん「やらされてる」とか「なんでわたしが」とか思っていた気持ちが、どこかに行ってしまって。
それで、迎えたパーティーは。
自分も今までよりはリラックスできたし
何より、来てくれた人たちがみんな楽しんでくれてたみたいで、
同僚くんにサプライズで準備したバースデーケーキのキャンドルに火が点かないというハプニングも、なぜかそこにいたみんなが楽しんでしまって
その後のスピーチで同僚くんはこみ上げたみたいで涙ぐんじゃうし。
なんかよくわからないけど、ものすごくいいパーティーになりました。
なんだか不思議。
今まであった「わたしが」「わたしだけが」っていう思いが
不思議と静かに、ひっそりとなって来たみたいです。
イギリスでは、16歳、21歳、30歳と後は40、50、と特別なお誕生日として位置づけられていて
同僚くんのお友だちたちも、30歳のお誕生日はガールフレンドががんばって、サプライズパーティを企画したり、ガールフレンドがいない人でも、パブを貸し切ってパーティーしたり。
結構、がんばる日です。
同僚くんはいつものおなじみの仲間うちの中では
30歳を迎えるのはけっこう、しんがりに近くて
そのおかげで、いろんなパーティー、ガールフレンドたちの奮闘ぶりを目にしてきてて。。。
すっごいプレッシャー。
もう、一ヵ月くらい前から、プレッシャーを感じてしまっていて。
同僚くんは、「オレ、オレ」パーティーにはしたくないけど、でもできるだけたくさんのお友だちを呼びたい、mokatoraと友だちと一緒にすごしたい、
と言うのですけど
わたしはそもそも、パーティーが大の苦手。。。
最初のうちはがんばっていたけれど、
そういうがんばりは続かなくって、最近は、予定が空いていれば参加して(前もって誘われていれば、だけど。もちろん)、適当なところでおいとまして。。。と
でも、同僚くんの30歳パーティーでは、そんなわけにはいかないでしょ。。。。
だって、招かれる側ではなく、ホスト側になってくるからです。
ものすごくプレッシャーで。
さらに同僚くんは「40人ちょっと、来てくれるって返事がきた~~」なんて。
そんな人数にどうやって????
そんなわけで。
バレンタインデーがすぎると同時に
ずんずん、プレッシャーが。日に日に。
泣きついたJ女史は「いいじゃーん、楽しそうー!」と。
J女史は、もしわたしと同じ立場でも楽しめるのに、なんでわたしは楽しめないんだろう????
この違いは何なんだろう?!?!
やっぱり、わたしはどこかおかしいんだろうか。
と、自己嫌悪に陥りつつ。
それでも、何が違うんだろう。。。。と自分なりに分析してみた。
「わたしは嫌だから、やりません」というのも、もちろんひとつの選択肢だと思うし、そう伝えるべきときにはちゃんとはっきり伝えるべきだと思うのだけど
今回の場合、「嫌だからやりません」と言えないのが問題なのではなくて、
『どうして(ここまで)嫌だと思うのか』
が、わたしの今の問題なんじゃないだろうか、と。
これがクリアになれば、自然と自分がどうしたいのかがわかるんじゃないかと思い。
違い、というか、なぜ、わたしはここまでプレッシャーを感じたり、この状況を「嫌」だと感じるのか。
その理由を探ってみた。
そうすると、主に、こんな理由;
1)「できない」ことをやらなきゃいけない(と思う)のが嫌でたまらない
2)「わたしにはできない」と思っているから「できないこと」を無理に「やらされている」と思っている
3)「わたしにはできない」からやりたくない。なのにここで何もしなければ、ダメなやつ、ひどいガールフレンドだと皆に思われる…
etc etc。。。
とにかく。
わたしには無理!!!!
って、いう思いがもうアタマの中がいっぱいで。
だから、プレッシャーを感じて、フリーズするし、いやでいやで逃げ出したくなる。
そっかー、わたしってこんなに「できない!!!!」って思ってるんだ。。。。
だからこんなに「いやいや病」になってるんだ。。。。
この「いやいや病」の原因は、もしかしたらこのわたしの「できない!!!!!」っていう思いにあるのでは?
そして、この「できない!!!!!」って思っているけど、それって、本当なの???
わたし、いつもそう言いながら、なんとかやってきたよね。。。???
「できない」って思うから、つらくなるのでは??
「できない」を「できる」にすぐに変えられないのなら「できるかも」にしてみれば?
少しは気が楽かもよ??
案外、できるかもしれないのに、できないって思っているのは誰。。。???
自分なりに理由がわかると、それなりに対処法が浮かんでくる。
うきーーーーー!!!!っってなり始めたら、とにかく、「できる!」「できる!」って独り言みたいにつぶやいてみるとか、してみよう。
そうだ、松岡修造だ!!!!!
と、ここでぴーーーーーん、と松岡修造の顔がわたしのアタマにひらめく。
ま、アニマル浜口でもよかったんだけど、同じ熱血でも、松岡修造の方がわたしのタイプだしね♪
お誕生日パーティーの5日前くらいになって、ようやく気がついて。
「できる!」「できる!」をぶつぶつぶつぶつ、口で唱えながら。
そしたら、だんだん「やらされてる」とか「なんでわたしが」とか思っていた気持ちが、どこかに行ってしまって。
それで、迎えたパーティーは。
自分も今までよりはリラックスできたし
何より、来てくれた人たちがみんな楽しんでくれてたみたいで、
同僚くんにサプライズで準備したバースデーケーキのキャンドルに火が点かないというハプニングも、なぜかそこにいたみんなが楽しんでしまって
その後のスピーチで同僚くんはこみ上げたみたいで涙ぐんじゃうし。
なんかよくわからないけど、ものすごくいいパーティーになりました。
なんだか不思議。
今まであった「わたしが」「わたしだけが」っていう思いが
不思議と静かに、ひっそりとなって来たみたいです。