誰かのために一生懸命生きるほどに「生かされている自分」に気づかされる | 死の不安を克服するたった一つの方法

死の不安を克服するたった一つの方法

どうやって、死の不安を克服したのかをお話ししますね

謹賀新年

 旧年中はお世話になりまして有難うございました。

 年経るごとに、

「生かされて今がある」

 と、身に沁みて感じられてきます。


 それは、人生経験が増えたという理由もありますが、

 インターネットの発展により、

 まだ会ったこともなく、

 顔も知らず、

 名前も知らない方とのつながりが急速に増え、

 深まってきたからかも知れません。


●特に仏教講師をしておりますと、

 身内や親友にも相談できないようなことを

 本名も知らない方が語られることがあります。


 そんな名前も顔もしらない人が……と、思い、思われがちですが、

 どこに住んでおられるとか、

 名前がどうとか、

 姿形がどうとかいう情報は、

 極めて表面的なもので、二次的なものに過ぎないようです。


 大事なのは、

 その方が

 考えておられること、

 望んでおられること、

 悩んでおられること。


 つまりは

「心」にフォーカスした内容こそ重要
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 ではないでしょうか?


 だからこそ、

「ネットを通してご縁のあった方々にどんな貢献が出来るか」

 を真剣に考えねばという思いが強まる一方です。


●仏教で

 「すべて報謝(ほうしゃ)」

 と教えられます。

 「報謝」とは、「御恩報謝(ごおんほうしゃ)」ともいわれ、

 受けたご恩に感謝し、報いようとすることです。


「会ったこともない人にどんなご恩を受けた?」

 と、つい思いがち。

 けれど、

 人は様々なところでつながっているものです。


 例えば、

 今、着ている服も、誰かがつくってくれたものです。

 たとえ1000円のセーターであっても、

 自分一人で編もうとすれば大変です。


 例えば、

 今日、食べた食事も、誰かがつくってくれたものです。

 たとえ500円のランチでも、

 自分一人で作ろうと思えば、それ相当の時間や手間が必要です。


 例えば、

 今、自分が住んでいる家やアパートも、誰かがつくってくれたものです。

 自分でつくろうとすれば、それこそ大変です。


 しかも直接つくってくれた人の周りには、

 その人を支える家族、

 その材料を用意してくれた人たち、

 その人を育てた人たち、

 など、つながりを見ていけば、まるで世界中がつながっているようです。

 いえ、間違いなくつながっているのです。


 つまり、

 持ちつ持たれつで、社会は成り立っています。


●過去を振り返れば、


 国語、算数、理科、社会、英語、体育、芸術を教えてくれた先生方、

 その先生を教育してくだされた、そのまた先生。

 その教育機関の歴史をたどれば、どれほどの過去にさかのぼり、

 どれほどの人たちが関わってきたかしれません。


 実家で、赤ん坊のころの写真を見ました。

 そのアルバムに、出産を担当されたお医者さんの名前が書かれてありました。

 そのお医者さんの顔も知りません。

 そのアルバムには、誕生祝いを下された皆さんの名前が記されていました。

 恥ずかしながら、その一番上に書かれてあった人を知らなかったので

 母に尋ねると、その人は両親の仲人でした。

 その仲人の方がいなければ、両親は結婚せず、私も生まれなかったかもしれま
せん。


 考えれば考えるほど、

 私の「命」が、今、ここに存在し、育まれているのには、

 大変なご恩に生かされているのです。

 これはお金に換算できるものではないでしょう。


 「みんなそうだよ」

 という人もあるかもしれません。

 それはその通り。

 でも、それは、

 「みんなそうだから、ご恩といえない」のではなく、

 「みんなが、大変なご恩に生かされている」

 ということです。


●つい、

 不平、不満が出てきたり、

 やってくれて「当たり前」に思いがちな自分。

 実際は、

「やってもらって当たり前」なものは一つもなく、

「させてもらって当たり前」。


 そう知らされるのも、

 生まれてきた意味が分かるから、

 本当の意味での命の尊さが分かるから、

 仏教によって、その答えを教えていただいたから。


 そのことを全部教える仏教では、

 一切のことを踏まえた上で、

 「すべて報謝」

 と教えるのです。


●ちょっと逆説的ですが、

 誰かのために一生懸命生きるほどに、

「生かされている自分」

「ご恩を受けている自分」

 に気づかされます。


 自分のことばかりに目が向けば、

「感謝」の心は薄れ、

「なんで自分ばかり(こんな目にあい)」

「どうしてあいつばかり(いい目をみるんだ)」

 という愚痴の心が勢いを増します。


 心から利他に徹しようとするほど、

 出来ていない自分に気づかされ、

 ご恩に生かされている自分に気づくもの。


 今年365日があるとすれば、

 1日1日がご恩返しということを忘れずに、

 生きていきたい。


 元日の今日、そんなことを思いました。


 本年も、どうぞ宜しくお願いいたします。


(追伸)

 今年も物語『死に対して自由な心を求めた、彼女と僕と妹の物語~フライザイン』http://masaoosajima.com/gift/story.html を加筆修正し、

 より、みなさんの心に届く作品にしたいと思います。