2月くらいから、環境が激変
これまで、肩書きとは全く無縁だった私が突然管理者に

3月からはほとんど休みらしい休みもない生活へと変わりました。

元営業をされていた上司について、営業にスタッフとの関係、経営側に立つということの心構えなどなど、びっちり毎日一緒についていただいての指導。

褒められたり、当然怒られたりの毎日。

これまでの自分が根こそぎ持って行かれるような感覚になって、反発したこともありました。

朝から終電近くまで仕事、仕事、仕事

この間、スタッフと上司と3人で話した時に、この子は何かを捨てて今、頑張ってるから、俺は何があっても守る、と言われました。実際、日々守られているという感覚は感じていました。

そんな中、40歳を迎えました

40歳になって、初めて胃痛に襲われぶっ倒れて病院搬送{http://ucs-emoji.ameba.jp/img/user/sh/shiruku/2583.gif}
相変わらず休みはないし、電話当番後に夜中まで仕事も当たり前にできるようになってしまいました。

そんな日々を過ごして、今、思います。

私が捨てたのはもしかすると、私なのかもしれないなぁって。

私がこだわった私でいることってなんなのかな、とふと思いました。
もともと、私は流されやすいし、私はこうなんだ、と公言できるほどの何かを持っていたわけでもない。

管理者として、というよりも、人として側にいてくれる人を和やかにしたり、笑わせたり、楽しくさせたり、安心してもらうために、私は今、私をなくして頑張る必要があるのかなぁと思っています。
そのために、上司は私を守ってくれながら見守ってくれて叱咤激励してくれているのかなぁ、と。

みうらじゅんさんの般若心経の訳の中に、自分なんてないって出てきたと思います。
ない仕事を作る、という本には、ブームを作るために我を忘れて夢中になる、これは流行らないのでは、と思ってもすぐさま打ち消して好きになるってありました。私は今、まさにそれをしているような気持ちでいます。

ふと、なんでこんなに働いているんだ?とバカらしくなることもあります。でも、それをすぐさま、打ち消して、いや、やるしかないんだと思う。最近はやるしかない、ではなくて、やりたい!と思うようにしています。
仕事を好きになって、管理者であることの責任を好きになって、夢中になっている。そこには、私が、という感情はなくって、ただそうありたいと思うことだけがある。

そんなことを思っています。

40代は大きな変わり目になるのかもしれません。
そんな気持ちで、誕生日の夜に、生まれて初めてのボトルキープを体験。
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バーのマスターにオススメしてもらった、程よく飲みやすく、程よいお値段のお酒。

これをちびりちびりとやりながら、私をなくして、また働こうと思います。
働くって、傍を楽にすることなんだよって上司から最初に言われました。
まだまだ実践できてはいないけど、ちゃんと傍楽をできるようになりたいなぁ。

久々の投稿は長文となりました。