真田丸 全体を通して | mmドラマ

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     2016.6.26、今まで書きちらしていた『真田丸』感想を再掲しようと開始。    

●全体構成

 

50話が完結したので、真田丸の全体構成について語ろうと思う。ただ、三谷氏は史料の発見や登場人物の成長などによってフレキシブルに対応して脚本に手を入れていたらしい。時代考証の丸島氏も、三谷氏は考証的に無理な点を指摘するとそれ以上のものを出してくる人で、書きかえを厭わないと語っていた。

 

たとえば、信繁が秀吉の馬廻衆だったというのは、ドラマ化のぎりぎりのタイミングで時代考証の黒田氏が発見したことで、それまでは石田三成の居候の立場にする予定だったという(★1)。これが最大の驚き!信繁が馬廻だったかどうかというのはドラマの根幹にかかわる大発見だ。居候設定だと信繁は今よりももっと傍観者になってしまい、なぜ大坂の陣で豊臣方に加わったのかの説得力が薄くなってしまっただろう。

 

それ以外にも、丸島氏が「例えば関白・豊臣秀次の切腹事件ですが、私の方で「最新の論文が発表される」という情報をキャッチして、その方々(矢部健太郎・国学院大教授ほか)に頼み込んで提供していただいたんです」と語るように(★2)先端の研究成果も取り入れており、既出の論をもとに物語を手堅く展開するのではなく、ドラマの展開に史料・解釈が追いついてくる形でドラマを作っていた部分もある。

 

また、三谷氏はおこうを稲の輿入れ後フェードアウトさせるつもりであったそうだが(★3)―そのための病弱設定だったのだろう―、もしそうなら、おこうと稲が理想的な関係に発展していくその後の深みのある展開がなかったことになる。この2人の関係がよく書けていたために、当初そのつもりでなかったというのは驚きだ。あと、31話での出浦と忠勝の立ち回りも、「ドラマでは、出浦を昌幸のパートナーに設定していたため、なかなか昌幸から離せなかったんですね。これはある意味で昌幸から離す場面作りでもあったわけです。」とのことで、作家の意図以上に進んでしまった人物の関係を史実にひき戻すためのエピソードでもあったらしい(★4)。

 

このように、三谷氏自身、走りながら書き進めていたようだから、後から言われても仕方ないだろうけれど、50話が完結した後からの後出し講評をやってみる。

 

★1 http://e-report.blogto.jp/archives/11030424.html

★2 http://mainichi.jp/articles/20161208/mog/00m/040/014000c

★3 http://news.walkerplus.com/article/95892/

★4 黒田基樹 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(28)

 

以下が「真田丸」の構成だ。4編構成になっていて、【 】内の人物が各時期の主人公である(真田丸 全体構成 参照)。物語を昌幸~秀吉~三成~信繁の継投という構成したのは、大河ドラマ「花神」(1977年)をモデルにしているという(三谷幸喜「三谷幸喜のありふれた生活14いくさ上手」朝日新聞出版、2016年、p.248)。信繁に似て、この主人公もなかなか活躍の場がない人物だったらしい。大坂編と三成・九度山編については、さらに細かいパートに分かれ、各パートに主人公【 】がいる。これは私の区分だ。

 

また、時間配分も書いておいたけれど、最初の上田編が2年間、うち天正壬午の年に起こった乱(1年)を描くのに9回費やし、最後の大坂の陣の1年あまりを描くのに9回使っている一方、九度山編は14年を描くのに4回しか使っていない。しかもそのうちの11年間は38話1回だけで終わっている。大胆な配分だ。

 

 1~13話(13回)上田編【昌幸】 …2年間間

   うち7~9話 天正壬午の乱 …1年

14~31話(18回)大坂編【秀吉】 …16年間

   ①14~20話 大坂/18話 昌幸上洛

   ②21~24話【北条】 22話 沼田裁定

   ③25~28話【秀次】

   ④29~31話【秀吉】

32~41話(10回)三成・九度山編【三成】 …計16年間

   ①32~34話【三成】 

   ②35~37話【信幸】犬伏の別れ~助命嘆願(関ケ原合戦終了)

           …ここまで2年間

   ③38~41話 九度山/38話 昌幸没 …14年間

42~50話( 9回)大坂の陣編【信繁】 …1年間

 

多くの人が語るように、私も大坂編は長かったと思う。私であれば、天正壬午の乱を1話追加し、大坂編の①、②、③、④を各1話ずつ減らし、三成・九度山編では②、③に各1話追加し、大坂の陣編に1話追加して、上田編14回、大坂編14回、三成・九度山編12回、大坂の陣10回にするのがバランスが取れる気がする。

 

ただ、大坂編が長く感じられたのは、実際に話数が多かっただけでなく、大阪編の大坂パートの裏で進行する昌幸と信幸の信州パートや、その前の天正壬午の乱の描写がドラマの後半よりも相対的にあっさりしてしまったことも原因だと感じる。

 

天正壬午の乱は今回の大河ドラマで初めて描かれた。3回でも十分描かれたと言えるが、上杉、北条、徳川が真田に振り回されたことがその後の真田の立場を決めることになるので、4かけても長くはない。しかも草刈昌幸は見事に振り回してくれた。この乱については、ドラマでは真田視点でわかりやすく整理されていたと時代考証氏たちは語っていたが、今思うとすっきり整理しすぎた感もある。

 

たとえば、矢沢叔父が北条の使者を殺すのはドラマでは1回だが現実には3回。それに、沼田防衛の場面は現実にはたくさんあるが、ドラマでは三十郎が駆けつけるほぼ1回のみ。ドラマ的には複数のエピソードを1つにまとめることはよくあるそうだが、北条の使者を何度も殺したり、追い返したりして、しつこく描く方が良かったのではないか?というのも、物語の後半ではくどい繰り返し描写が多くなるからだ。例えば33話の動乱と34話の七将襲撃事件は似たような騒動の繰り返しだし、大坂の陣編では、五人衆の軍議が最後に大蔵卿らの一言で瓦解というパターンが繰り返される。要は、コースの最後の味付けが濃いから、前半の味付けも濃くしましょう、という提案だ。

 

それから、大坂編に入ってから昌幸上洛前までの時期(①)、昌幸は急にふぬけた感じになった。信幸もまた火遁の術を練習する出浦&佐助コンビをしり目にやることがない(15話)という描写だった。これは、18話で上洛してきた父が、大坂にいる源次郎の目には田舎臭く、時代遅れになったように見えるという描写に説得力を持たせるためだと思うのだが、そう描写するには少し早すぎたのではないか。信州パートの描写が弱々い分、大坂パートが長く感じられてしまうのだ。

 

たった4回の九度山時代だったが、毎回映し出される村の遠景はどこか思い出の風景のように幻影的に美しい。最初、九度山編が短かすぎると思ったが、見終わってみるとそうでもなかった。信繁はここでさなぎになり、幸村というヒーローとして生まれ変わって大坂城に入城する。むしろ短いがゆえに、九度山は一瞬の夢のような世界としてドラマの中に存在している。

 

大坂の陣編も長いとはいえないが、今以上に時間があればじっくり描けるのかと言えば、5人衆と大坂幹部のグダグダ描写が長引くだけのような気もする。もっとも、そのグダグダが面白かったが…。ただ、真田丸の雄姿はあと1回見たかったなあと思うのだ。

 

●オープニング

 

本作が昔の大河ドラマのようにアバン・タイトルなしで音楽から始まったことは私にはとても嬉しかった。実は、いつの間にか始まってしまうアバンが好きではない。大河ドラマで初めてアバンを採用したのは「独眼竜政宗」だが、アバンの前に短い笛の音が入るのでこれはOKである。オープニング音楽やこの笛の音が聞こえてくると、劇場で開演ベルが聞こえる感覚に似て、さあ始まるぞ!とドラマへの臨戦態勢ができるのだ。

 

オープニング音楽が終わると、スター・ウォーズ風の画像をバックに有働アナウンサーが語る導入部があり、ここで先週までの内容が簡単に触れられる。これも私には楽しみだった。オープニング音楽を経て導入を経て…と二段構えで物語に入るのが、「真田丸」のワクワク感を高める装置になっていたと思う。

 

ただ、この日本語は改善の余地有りである。私は友人とこの導入部分の英訳を全編やってみてわかったのだが、実は論理的につながってないとか、内容が前回よりも前のものだとか、相対的に重要でない事柄を取り上げていることがある。耳で聞き流す分には気にならないのも事実だが、もう少し文を練った方がよいというのが私の考えだ。

参考➡SANADAMARU XXXXIX: The Eve

 

●ナレーション

 

ところで、三谷氏はナレーションで歴史的事実の説明を入れると第三者的視点が入ってしまい、臨場感がなくなると考えている(▲「三谷幸喜のありふれた生活14いくさ上手」p213).。オープニング後のこのスター・ウォーズ風導入部はその解決策なのだと思うが、それでも最低限の歴史的事実のナレーションが必要な場合がある。三谷氏の場合は説明ゼリフがあまりないからなおさらだ。私が一番不満だったのは、信幸が父親の後継者だが、独立した沼田領主と認められたことがドラマの中であまりはっきり述べられなかったことである。いつ沼田支配を任されたのかあまりはっきりしなかったこと(※コメントがあり修正しました)。一応わかる単語は入っていたというのが丸島氏のtwitterで指摘されていたが、私には分かりづらかった。

 

また、小田原征伐で信繁が家康や紅雪斎に頼まれて氏政説得に城中に入るシーン、本当は黒田官兵衛が説得したのに、三谷氏は信繁の手柄のようにしてしまったというような意見が多く、三谷氏はエッセイで、時代考証氏たちはそれぞれtwitter等で、北条に説得に行った使者は官兵衛だけではないと反論した。実のところ、多くの大名が自らのルートで降伏勧告の使者を派遣していたのだという。それなら、「大名たちはそれぞれ降伏の呼びかけを行っていた」と、一言、ナレーションか導入部で言えばよかったではないか。官兵衛の説得シーンは2年前の大河ドラマでも描かれたシーンだから、覚えている人は覚えているのだ。その一言の説明があれば、ひっかかりもなくドラマの世界に入ることができるのに。というわけで、史実説明のはさみ方というか地の文が三谷氏はイマイチだなあと思う。

 

もっとも、良かった点もある。三谷氏は上のエッセイ(▲p213)で「この誰々はのちの誰々である」という、見る人を煽っていく講談方式の語りを入れていくと書いていた。たとえば、本多忠勝が将来の婿・信幸と対面した時のナレーションがそういう調子だったのだが、先のことが見えない状態でドラマを楽しみたい(それが三谷氏の狙いだったと思うのだが)視聴者には少なからず不評だった。最終的には「煽るんじゃなくて、添い遂げるというか見届けるようなナレーション」を一番好きなナレーションに挙げており(↓)、また煽るナレーションもなくなっていったので、考えを改めたようである。
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161215-OHT1T50104.html