私が日本SF界に見切りをつけたのは、私の「スタジオぬえ批判」に対するSF界の反応でした。

 簡単に言えば、「うちの身内の悪口を書きやがってこの野郎」という反応だったのですね。

 私はSF界を救うべく、スタジオぬえ批判を書いたのですが、もはやSF界はそこまで腐っていたのですね。

 既に手遅れだったわけです。

 論文の内容が正しいかどうかはどうでもよく、それを書いたのが身内か部外者かによって態度を変える。

 間違ったことを書いていても、身内ならかばい、正しくとも部外者ならこきおろす。

 最低ですね。

 特に石原藤夫の反応には失望しました。

 失望と言うよりも嫌悪ですね。

 彼はまず何の根拠も示さず、茨城敬一は科学が全く判っていないとこき下ろしました。

 そしてかなり時間が経ってから、その「論拠」を書きました。

 お笑いとしか言いようがない論拠です。

 まず、チオルコフスキー方程式の部分を「相対論的に間違っている」と言いました。

 なるほど極めて厳密に言えばそうかもしれません。しかしその誤差はほとんどありません。

 何より石原藤夫自身が科学雑誌ニュートンへの祝辞で、たいがいのことはニュートン力学で事足りると言ったことなど忘れているのでしょうね。健忘症でしょうか。

 そしてもうひとつは全くの言いがかり。

 スタジオぬえの、「核エンジンを使っても衛星軌道にのるには大きな推進剤タンクが必要」だとの記述とイラスト(スペースシャトルのような巨大な外部推進剤タンクが付いた)に対して、私が核融合エンジンを使えばそんな大量の推進剤は必要ない旨を論理的に説明した部分ですね。

 それに対して石原藤夫は、都市からそんなものを打ち上げるのは危険すぎるから駄目だと言ったのですね。

 一体何処に都市から打ち上げるなんて書いてあったのか!?

 存在しない前提条件を勝手に作って否定論に仕立て上げたのですね。

 私の説を論理で否定することが出来ないからでしょうね。

 だいたい宇宙港って都市の中に作るモノか?

 常識で言って郊外だろう。

 開いた口がふさがりませんでした。

 しかもこの頃にはSFイズム誌が休刊になっていたため、反論も出来ませんでした。

 反論以前に、SF界に対する嫌悪感でいっぱいになっていたのですね、私は。

 反論する方法は全くなかったわけではないでしょうが、それを探す気も起きませんでした。

 SF界に触れることすら嫌になっていました。

 そしてその後、SF界の衰退は誰の目にも明らかになっていきました。

 スタジオぬえの社長だった高千穂遥(字が違うかもしれないが確かめようとも思わない)がSF作家クラブの会長になるなど、SF界はますます腐敗堕落していきました。

 SFの出版部数も出版点数も落ち込み、SFは滅びへの道を突っ走っていきました。

 当然でしょうね。

 外部からの正しい批判はこき下ろし、身内のでたらめはかばい立てする。

 これはおそらく私の「スタジオぬえ批判」だけのことでは無かったでしょうね。

 そんな腐ったジャンルが通用するほど世の中甘くはありません。

 日本SFの衰退は必然だったと言っていいでしょう。