【追記あり】最新版 : 第86話「シャンソンのライブ専門のビストロ」とショパンのこと | penのフランス語日記

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「虎と小鳥のフランス日記」でフランス語を学習中のpenの日記。独学です。トリュフォーの映画を字幕なしで楽しむのが目標。フランス語とフランス全般の情報を楽しくご紹介。初心者むけの文法、語彙、ディクテなどの学習法、フランス映画、フレンチポップスの話題もあり。

こんにちは。penです。



「虎と小鳥のフランス日記」の新しいエピソードのサンプルビデオがアップされました。第86話です。

今回は「シャンソンのライブ専門のビストロ」

またCamilleの歌声が聞けそうです。

こちらがサンプルビデオです。
映像のみで、会話は入っていません。
約50秒



はて・・・何も始まっていないので本編の様子が想像つきませんね。たぶんこの近くのビストロが舞台なのでしょうが。

そこできょうはサンプルビデオのおしまいのほうに写っていたCité Bergèreについて少し書いておきます。

ここは9区にある歴史的な建物で、上の写真や動画にあったように、入り口があって、中を通れるようになっています。

パリの市役所の記録cité Bergèreによると
最初の建設は1825年
一番最初の名前は Voisinage de la rue Bergère

voisinage は近所の人々とか、近接、近所という意味です。ベルジェール通りのそばにあるからこういう名前になったのですね。

現在、このあたりはホテルがたくさんあります。




そして、1832年の春から1833年の春、作曲家のショパンが今はこんなCité Bergèreという名前のホテルなっているこの建物(当時はアパート)の1階に住んでいたそうです。彼の部屋は一階。とてもきれいな建物だったらしいです。



ショパンの誕生日は1810年(1809年説もある)ですから、22歳のころです。

ショパンは1831年の9月下旬にパリに来ています。来た当時はパリに定住するかどうか、まだ決めかねていたのですが、周囲の状況もあり、パリに住むようになりました。

来たばかりで友だちもいないし、孤独だったのですが、このアパートを気に入り、わりと心やすらかな日々を送っていたようです。

この頃、ベルリオーズらと知り合い一緒にコンサートもしました。コンサートが評判を博し、収入もあったので、次はもうすこしいいアパートに引越します。

ショパンがジョルジュ・サンドと知り合うのは1836年です。

このアパートにいた頃に作曲されたと思われるものに『12の練習曲作品10』があります。ちなみに作品9は真ん中の「愛の夢」映画「愛情物語」で使われたノクターンがよく知られている『三つの夜想曲』です。


☆2013/02/04 追記 「愛の夢」と「愛情物語」を間違えていましたので訂正しました。ついでに、映画の主題歌を貼っておきます。
nikudakuさまにご指摘いただきました。ありがとうございます。

映画の主題歌:カーメン・キャバレロの演奏です。



12の練習曲の最後は有名な「革命」です。私はこの練習曲の3番がショパンの曲の中でも特に好きなので、きょうはこちらをご紹介します。

この曲も有名で「別れの歌」という愛称がついています。ちなみにこの愛称はショパンの伝記映画の邦題から来た日本独自のもので海外でのニックネームは«Tristesse»(悲しみ)だそうです。


Chopin Etude Op 10 No.3 HQ 4分21秒



月曜日にキーフレーズをアップする予定です。


最後までお付き合いありがとうございました。
次回のプレビューの記事でまたお会いしましょう。


☆ショパンの経歴はFrédéric Chopin (1810-1849)を参考にしました。1ページにまとまっているし、写真も豊富。また楽譜へのリンクもあります。


pen


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