肺がん闘病記(2011年4月判明、判明時31歳男性)
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2011年4月22日(金)緊急手術/入院!

 さて、この日からはがんの専門家へバトンタッチ。そして、思いがけない激動の一日となったのでした。

 朝8時からがんの専門家の問診を受ける。この日からは一人で病院に行く自信もなく、妻に送ってもらう。妻はそのまま、息子を保育園へ連れて行き引越し。。。実はこの日はSan JoseからFremontへの引越日(といっても車で約20分位の距離)。妻の就労の関係で引っ越すことにしたんだけど、何ともタイミングが悪い。妻に完全に任せっぱなしの引越し。

 これまでの検査の結果から、肺がんの可能性が非常に高いことを告げられる。あわせて、下記の検査をすることを説明される。
  • がんであることの確定診断、またその細かい種類を検査するためにリンパのしこりの一つを採取(組織採取)し生体検査を行うこと

  • 心臓にも水が溜まっている可能性が指摘されているので心臓の超音波検査を受けること

  • がんの転移状況を確認するためにPETという検査を受けること

先生がその場でそれぞれの検査をすぐにアレンジしてくれ、組織採取は10時半から、心臓の超音波は16時から、PETは急がないので後日と決まる。

 組織採取は部分麻酔でものの30分ほどで終了。いったん帰宅。帰宅といっても新居のFremontへ。San Joseの家までタクシーで帰り、車をとってFremontへ。引越屋さんのためにピザと飲み物を途中で調達するが、あいかわらず息苦しく、それだけで死ぬ思いをする。。。幸い引越は早めに終わったので、家で少し休んだあと、再度超音波検査のため病院へ。今回も妻に連れて行ってもらい、妻はそのまま息子の迎えに。

 心臓の超音波検査を始めてものの数秒で「あ、これはまずい。。。心臓の先生呼んでくる。」って。。。心臓の先生も見た瞬間に、「これから救急車で総合病院に搬送して、心臓の周りに溜まった液体を抜きます。よくこんなになるまで我慢できたねぇ。」とのこと。どうも心臓は心膜というものに覆われているらしいのですが、通常その心膜と心臓の間には少量の液体が潤滑油的にあるのみなのに、大量の液体が溜まっている。この状態では心臓がいくら脈動しても血液は巡らないとのこと。

 この後、正にテレビ番組「ER」さながらの体験。始めての救急車、始めてのER、始めてのサイン攻め(いろいろな同意書。5、6カ所サインした気がするけどなんのサインだったかは当然ほとんど余裕がなく把握しておらず)、始めての本格的手術。それからアメリカらしいなと思ったのが、治療前にソーシャルセキュリティナンバーや保険の確認。。。そんなものを出している余裕はなかったのだけど、幸い前日ここで超音波検査を受けていたため、全ての情報が残っておりFinancialのチェックは問題なかった様子。そしてガウンに着替え、点滴やいろいろなモニターをつけられ、そのまま手術室へ移動。

 手術室はよくテレビで見るような感じ。執刀医の先生に助手が4人。一人は隣室のモニタールーム?でひたすら患者の様子を監視し、手術室に伝える。手術前に先生から、脇から管をいれて心臓の周りの液体を抜く手術で安全性は高いこと、とはいえ心臓を傷つけてしまうリスクがわずかにあること、ただしこの手術を行うことにより心臓の働きを戻し全身の血液の流れを復活させることができる。リスクを冒してあまりある効果があるため手術を勧める旨、説明がある。そして、その説明に納得したことをサイン。日本でも同じなのかもしれないけど、アメリカで英語で聞くとなんと論理的な説明なんだろうと思ってしまいます。。。

 手術は部分麻酔で行ったため一部始終を見届けることができました。左の脇からカテーテル?を数本挿入、ポシションを確定させて液体を注射器で吸っていく。麻酔を始めてから吸い出しきるまでにどうでしょう、30分以内だったかな。そして、吸っていく先から全身に血が巡っていく感覚が!特に足先、手先はここ数日しびれがあったり、すごく冷たかったのが、みるみる血が通ってきてぽかぽかに。そして頬も紅潮してきてみるみる顔色が良くなったとのこと。先生もこれは本当にすぐ効果が出るからいいんだよ、と自慢げ。起死回生の一打とは正にこのことで本当に一気に体が楽になったのでした。そして何と、やたらおなかがすいてきた。なんとも正直な体です。しかも、これは麻酔が解けても痛くならないという。。。実際には2日間位なんとなく心臓のあたりがうずく感じはあったんだけど、痛み止めを飲むほどでもなく、うずきも消えていきました。ちなみに今回吸い取ったのは550ml。あのちっぽけな心臓の周りに500mlのペットボトル以上の水分がたまっていたなんて信じられない。。。

 そしてその夜は集中治療室へ。部屋に戻っておいしくご飯をいただいて、その日はぐっすり眠ることができました。夜中、何度かは起きたんだけど、こんなに眠れたのはおそらく1ヶ月以上ぶり。恐るべし心臓医の力。

初診から検査、検査の1.5週間、ほぼ肺がんと診断される

それは突然やってきて、突然猛威を振るいだしたのです。少なくとも私の感覚はそうなんです。でも、体の中ではいろいろな変化が起きていたんでしょうな。

年末年始から腰痛に悩まされていて、そして体調もずっと優れなかったのは確かなんだけど、まさかこんな事態になろうとは夢にも想像していなかった。肺がん(非小細胞 腺がん)でしかも全身あちこちに転移していて、末期中の末期。完全治癒は既に不可能なところまで来ている。あとはどれだけ生活の質を保ちながら命をつなげられるかという治療しかできないとのこと。いわゆる延命治療というやつですな。突然そんな状態を知らしめられたのです。

がんといえば昨年の春頃、大便時にかなりの出血が続いたことがあって、また父が数年前に大腸がんを患っていたこともあたまによぎり、ちょっと不安な日々を過ごしたことがある。そのときは、ネットで調べた痔にものすごくよく効くと評判の軟膏を塗ったら、1週間位でよくなった。つまりただの痔だったということ。そんなどうでもいい話しか自分に関していえば思い浮かばない。

しかも肺がん!学生のときに数年間一日一箱ぐらいタバコをすっていたが、その後はやめて、せいぜい飲み会でもらいタバコをするぐらい。肺がんとは正直縁がないと思っていた。が、今回の肺腺がんというのは喫煙とは(受動喫煙も含め)一切関係のない種類の肺がんなんだそうです。

病気の詳細や治療のことは今後書いていくとしてとりあえずこれまでの経緯を。

12月頃~ 腰痛/座骨神経痛(右足)の症状が出る。1月からカイロプラクティックに通って治療をするが、効果があまりでない状態で、痛み止めを継続服用しながらだましだまし過ごす。3ヶ月間にわたって週2回まじめに通った訳ですが、今となっては腫瘍が神経を圧迫していたはずなので、カイロプラクティックでは到底直せるものではなかった訳で。。。この間、今考えてみれば軽い咳がずっとでていたり、たまに熱が出たり、3月に入ってからはかなり顔色も悪いといわれていたし、全体的になんとなく体調も悪かった。このときは、痛み止めの連続服用のせいかとおもっていたんですな。それで漢方を飲んでみたりとかもしたのですが。。。また、痛み止めをずっと飲んでいたので熱もそれで押さえられていて、あまり熱が続いているような印象はなかったんでしょう。ちなみに1月にファミリドクター、カイロプラクティックの先生ともに腰のレントゲンは見ているのですが、腫瘍は発見されていません。まさかがんの腫瘍があるだなんて思ってないでしょうし、レントゲンでは多分発見は難しいのでしょう。このときのファミリドクターはなんだか感じが悪く、この後出てくるファミリドクターは別の方です(こちらは本当にすばらしい方、このかたの素早い対処がなければ既に死んでいたかも)。

4月2日(土) 首右側のリンパにそって多数の小さなしこりを発見、前の週に出た微熱のせいかとそれほど気にせず、とりあえず放置。

4月13日(水) リンパのしこりがなくならないこと、また左の手のひらにもしこりができたことからファミリドクターを受診。小さなしこりなので問題ないと思うが、少し様子を見てなくならなければ胸部レントゲンと血液検査を受けるように進められ、オーダー表をもらう。

4月15日(金) さっさと不安を解消したかったのと、首の付け根というか鎖骨のあたりのしこりがかなり大きいことを発見し、朝、胸部レントゲンと血液検査を実施。午後、早速先生から連絡があり、胸部レントゲンの結果、右肺の上部に”影”があるとのこと。。。血液検査は一部標準値を外れているものの、それほど大きな問題話とのこと。胸部CT検査をすぐに受けるように指示を受け、その日のうちにオーダ表をもらう。この週末頃から息切れが気になりだす。

4月19日(火) 胸部CT。やはり右肺上部に約5cmの腫瘍が発見される。また腹部に水も溜まっている。同時に検査を指示されていた腹部超音波はこの施設では予約が取れず一週間後とのこと。先生がそれではまずいとのことで急遽総合病院の超音波を予約してくれ、2日後に受けられることに。(←この機転がなければこの週末に死んでいたかも。。。)昼間、貧血で倒れる。また下痢に。

4月20日(水) 息切れが激しくなり、また微熱。横になるとかなり息苦しく、体を起こしていないと過ごせなくなる。この日から会社を休む。夜、激しい咳から嘔吐。

4月21日(木) 息切れが最高潮に。腹部超音波検査で病院に自力でなんとか行ったが、歩くのが本当につらい。100mも歩くと、1kmダッシュをしたかのごとく息が切れ、休み、休みにしか歩けない。腹部超音波検査。胆のうの壁がやや分厚くなっているように見えるが、それと肺以外の臓器には異常は見られなかった。ただし、これはおそらく腹部に限って。この時点でPhysicianは心臓の異変に気づいていたはず。先生から連絡があり、がん(腫瘍/血液)の専門家に見てもらうように指示を受ける。なんと次の日の朝一に予約をいれてくれた。(←(再)この機転がなければこの週末に死んでいたかも。。。)


 そしてこの翌日4月22日(金)から激動の日々が始まるのですが、この日にあまりにも多くのことが起こったので、それは別エントリーで。