2012/06/09(Sat) 亡 | 最近ふかふかに飢えてるんだ

最近ふかふかに飢えてるんだ

いや、単に日記なんです


2012年6月9日
父上が天にかえりました。

だいぶ悪くなってたし
日に日に衰弱してるのを見てるから
予想もついてたことだけど
やっぱりショックすぎた

6月9日、ムックの日、15周年だ!
ってことで
父上が心配ながらもムック15周年記念ライブを楽しみに幕張に向けて新大阪から東京行きの新幹線に乗り、グリーンうはうは♪なんて思いながら、スタバでコーヒーを買い、新大阪を出発。
そして京都へ着くちょっと手前で母上からメールが届いた。

父上が亡くなったと・・・

震えるわ、涙が溢れるわ、な中、
家に連絡取るのに通路へ向かいたいんだけど
ちょうど京都に着いたところで人がいっぱい入ってくる
京都を出発し、人が横を通り過ぎて落ち着くまで待ってから家へTEL。
「あんたにはかわいそうやけど帰ってきて」
ということで、
名古屋駅で引き返す。
泣きじゃくりながらみどりの窓口で新大阪までの指定席を買って…
(今思うともう名古屋のみどりの窓口には二度と行きたくないかもだ 苦笑)

10日にL'展に行くために合流する予定だったTちゃんに連絡をいれ、
家へ帰った。

家につくと
さすがに2時間以上もたってるので
すでに父上は一通りきれいにされてた
お寺さんもすでにもう来てくれてたらしく、まくら経ももうしてもらってたらしい

あとはもう
慌ただしく時が過ぎた

いろんな思いが溢れてくるのに
それを全身で浸る間もなく
しなくちゃいけないことが次から次へとくるんだ

母上が喪主をつとめたんだけど
横でしっかり支えてあげなくちゃっていう使命があるし

なんだか
もう
わけがわからない

ただひとつ
実感がわいてるようでわいてないけど
父上が死んでしまったという事実が自分に残ってる


この5月、6月
ライブばっかりで忙しいのは前々からわかってたことだし
それをやっぱり優先させたくてある意味必死だった。
L'に関してはまた次がいつかわからないってこともあり
全力で楽しむぞー!っていう気持ちを持ちつつ
それでもライブ中もUSJで遊んでる最中もしょっちゅう思い出す
ふって思い出す
家のこと。
そして思う
「私なにしてんだ?」って。
でも、
やっぱりこっちも自分にとってはとっても大事で
ほんとにこの期間
すごい葛藤ばっかりだった。
ライブで久々に聴いたpieces
会場で違う意味で泣けてきてた。

そして
なんとか5月も過ぎて
しっかり生きてくれ!って願いながら毎日過ごしてた。

6月に入り
車の名義変更が終わったと同時に
みるみる弱っていった。

いよいよ
胆汁も吐き始めた。
もう長くないと思い始めてた。

そう。わかってるのに。
やっぱり気持ちの上でなんともできなくて。

あまり優しくしてあげれなかったんだ。

もしかしたら奇跡でも起きて持ち直すかもしれない
なんて
夢みたいなこと本気で願ってた。

バカだね、私。

本気でバカだ。

そんなことあるわけないのにね。

ふらふらよろよろして動いてる姿みても
「私が触ると余計に衰弱するかもしれない」
そう思うと
こんなに弱り切ってるのに手を出してあげることすらおそろしくて。
それでも
ようやく自分から点滴や鍼に通おうとしだしたのをなんとか手伝いたくて
車出したり手を出したりした。

みるみる弱っていく…

そんなことあるわけない

わかってるのに自分のせいでって思ってしまうね。

やっぱりバカだ私。


8日、旅立つ前夜
心のどこかで感づいてた
たぶん今日危ないって

9日、朝目覚めたとき
泣きながら一生懸命弔辞の内容を考えてる状態で目覚めた
その時点で体は知ってたんだね
お別れの日だって

自分でも感づいてた
気づかないふりしてた

8日から9日にかけての夜中、何度も様子をのぞきに行こうかと思った

でも
怖いからやめた

今更後悔しても遅いけど
いろいろいろいろ
失敗した、って思うことができてしまった

もう、こういうことで後悔しないようにしようって
ずっと思って生きてきたのに
やっぱりダメだ
失敗した
後悔いっぱいだ…

Sの時にちゃんとできたはずなのに
なんで父上の時にできなかったんだ、私

でも
後悔しても遅いよね

今更さ…


でも
いまだにわけがわからないんだ
亡くなった事実をちゃんと認識してるのに
いなくなったことを理解できない


それでも
ちゃんと受け止めて生きていかなくちゃいけないんだね


でもやっぱり
もう少し長生きしてほしかったよ
もう少しそばにいてほしかったよ
そりゃ
腹立つこともいっぱいあったし
憎むこともいっぱいあった
だけど
こんなに早くいなくなるなんて
思ってなかったよ

あの車だってあの時計だって
ほしかったけど
こんなカタチで手に入れたかったわけじゃない

くやしいよ

なんで今年なの?
なんで今日だったの?
いっぱいいっぱい頭かけめぐる

でも
きっと
すごくがんばってくれてたんだね
私がL'大好きだと知ってたから
20th、邪魔しないように必死で生きてくれてたんだね
だから
国立終わったと同時ぐらいに急に…なったんだね
ありがとう
がんばってくれて
ありがとう
ほんとは
あの年に覚悟してた。
なのにこんなにがんばってくれて
ほんとにありがとう
去年、初めての上げ膳据え膳の家族旅行、行けたね
向こうでモメちゃったけど
それでも
行けた事実がうれしかった
最後のキャンプも
行けてよかった
昔行ってた方の海にも連れて行ってもらえて
ほんとによかった
私じゃあの海に行けない
私の技術じゃあそこにたどり着けない
父上だからこそ行けるところ…だ
色々な思い出の海
さいごに連れて行ってくれてありがとう


まだまだ
教えてもらうこともいっぱいあったんだ
母上の田舎…行き方とか教えて貰っておきたかった
家の中のこと…工具の使い方とか作業の方法とか教えてもらっておきたかった
ほんとにまだまだいろいろ…
父上が動けなくなっていく中、私がちゃんと代わりにできるように教えてもらいたかったんだ
その色々、まだ、教えてもらってないよ…


思い返せば
ほんとにきりが無いくらいに…

でも
しっかり生きなくちゃ
母上、しっかり支えなくちゃ

がんばっていかなくちゃ…

父上、応援しててね



父上 K 純一 
1949年01月24日大阪生

今までありがとう
大事にしてくれてありがとう
愛してくれてありがとう
心配いっぱいかけてごめんね
めいわくいっぱいかけてごめんね
気持ちのすれ違いとかで
恨み事いっぱいあったね
大嫌いで大好きだったよ
向こうで
飲めなくなっちゃってたアルコールいっぱい飲んでね
食べれなくなってた大好きなモノいっぱい食べてね
いっぱい横になって寝てね
行けなくなって残念だった釣りもいっぱい楽しんでね
大好きな車もいっぱい乗り回してね
大好きだったワンコたち、いっしょにいっぱい遊んでね
昔はいっぱい話したっていうじっちゃんともいっぱい会話してね
今までほんとにありがとう
私、がんばって生きていくよ
今度、海に行こうね
TやRやSのいるあの海へ。
母上と一緒に皆で行こう
今までお疲れさま
この一ヶ月ちょっと、大変だったね苦しかったね
ゆっくり休んでね

父さん