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(続き)
(くそう、なんで僕がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。一体僕が何をしたって言うんだ…!)
毎日病院の中庭のベンチに座り、悲嘆に暮れていたテリー。
そんなテリーの姿を見て、近づいてくる女の子がいた。
「おにいちゃん、こんにちは。今日はとても天気がいいわね」
同じ病院に入院する10歳ぐらいの女の子だった。
「…」
心を閉ざすテリーにお構いなく、少女は毎日テリーに挨拶をした。
「ねえ、おにいちゃん。おにいちゃんはここを出たら何したい?」
「へえ~、おにいちゃんバスケットボールやってたんだー!素敵!」
そんな無垢な少女にテリーも徐々に心を開くようになる。
「でもね、お嬢ちゃん。僕のこの足じゃもうバスケットボールはできなんだよ」
「お兄ちゃん、元気を出して!お兄ちゃんにがんばれないはずはないわ。だってこんな私でもがんばれるんだから。ねっ?」
自分よりずっと幼い少女のそんな姿を見ていると、弱い姿を見せるわけにはいかなかった。
しかも話を聞くと、彼女もテリーと同じ病気で入院していることがわかった。
(そうだ。こんな小さな女の子でも必死に病と戦っている。僕ががんばることでこの子もがんばることができるんだ!」)
「そうだね。よし、おにいちゃんもがんばるよ!」
「約束だよ!そうだ、わたし今はまだ小さいけど、大きくなったらおにいちゃんのお嫁さんになってあげる!」
「はは!本当?それはうれしいな。よし、約束だよ」
テリーは彼女にだけは心を開くくようになり、いつしかその少女と会話する時間はテリーの中で一番楽しい時間になっていた。
しかしそんなテリーをまたもや新たな悲劇が襲う。
あれだけ毎日自分のところへ来てくれていた女の子が、ある日を境にぱったり来なくなったのだ。
おかしいと思ったテリーは看護師に女の子のことを聞いた。
「あの、この病院に髪の長い10歳くらいの女の子が入院していると思うんだけど」
「ああ、あの子ならちょうど一週間前に亡くなったわよ」
実は少女の病気はすでに治療不能なまでに進行しており、手の施しようがなかったのだ。
テリーの唯一の生きる糧だった女の子が死んでしまった。
「神様、なぜだ。なぜあなたは私から足だけでなく、あの子まで奪ってしまうのだ」
「オレもいつかあの子のように急に死んでしまうのか。まだやりたいことだっていっぱいあるというのに」
テリーは以前にも増してふさぎこむようになった。
しかし、何もかも投げ出してしまいたいテリーを支えていたのが少女と交わした約束だった。
「約束だよ、おにいちゃん!」
(そうだ。オレがここですべてを諦めてしまったらあの子の死も無駄になってしまう)
くそうっ!!
「何だ。今のオレにできることは何なんだ。何かあるはずだ。今のオレにしかできないことが…」
「ハッ?!そ、そうだ!!」
そしてテリーは後々彼をカナダの英雄に押し上げる、あるとんでもない計画を思いつくのであった。
彼の計画は極控えめに言ってとても大胆なものだった。
その計画とは「1日に42.195キロを走り続けることにより、カナダを横断する。そうすればマスコミが注目する。それを利用し、2億円のガン治療のための募金を集める」というものだ。
これがどれだけ無謀な計画かということを考えてみよう。
カナダを横断するといってもイメージがわきにくいかもしれない。
カナダの東の端から西の端までは8000kmある。
わかりにくいので、これを日本に置き換えてみる。
日本の北、北海道から南の沖縄まで直線距離で3000kmになる。
つまり8000kmとは北海道から沖縄までを1往復半走ることに相当する。
想像を絶する距離である。
しかもそれを走るのは私たちのような健常者ではない。
右足を失い、今も病に侵されて床に伏している18歳の青年である。
そしてさらに付け加えておきたいのだが、これは今から30年も前の話だ。
今でこそ技術の進歩により義足も質のいいものが開発されているが、当時の義足は歩くのが精一杯で走るためになんて作られてはいない。
しかし、テリーはその義足を使ってトレーニングを始める。
数歩走るのがやっとで、少し休み、また数歩走っては休むという状態だった。
そして足と義足の接合面がすれ、皮膚がえぐれ、血が溢れた。
そんな彼の姿を見たテリーの両親は目に涙を浮かべながらテリーにこう言った。
「テリー、もう見てられない。お願いだ。もうやめてくれ」
しかしテリーはやめなかった。
「母さん、このぐらいなんてことないよ。この傷は時間がたてば治るけど、あの女の子はもう二度と戻ってこないんだ。僕は彼女と約束したんだ。絶対にがんばるって」
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テリーは堅い決心でトレーニングを続け、3年間という月日が流れた。
そして努力のすえ、とうとう義足で走れるレベルにまで到達する。
「よし、これなら、いける!」
1980年4月12日。テリーはカナダの東端の海岸に立っていた。
そして総距離8000kmに及ぶマラソンの第一歩をスタートさせた。
この日からテリーは鋼の精神で毎日42.195kmを走り続けた。
このマラソンはマラソン・オブ・ホープ、希望のマラソンと呼ばれている。
最初はとても順調に進んでいた。信じられないことだが、テリーはきちんと毎日42.195kmを走ったのだ。
そしてこのマラソンは噂になり、住民たちが沿道に出てテリーを応援するようになる。
「今日はこの街をテリーが通るらしいぞ」
徐々に人の数は増え、街をあげてテリーを歓迎するようになった。
また、この騒ぎをマスコミも聞きつけ、テレビでも取り上げられるようになったテリーは徐々に有名人になっていく。
テリーは常に笑顔でテレビカメラの取材を受け、熱意を持って自分のやろうとしていることを語り、民衆に募金を呼びかけた。
そして彼の志に賛同したカナダ国民から少しずつ募金が集まってきたのである。
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テリーの計画は順調で、とてもうまくいっていたかに見えた。
しかし、テリーがインタビューを受けている時、しきりに咳き込む姿があった。
実はそれが不吉な予兆だった。
それまで安定していたテリーの走るペースが徐々に落ちてくる。
これまで早朝にスタートして昼前には走りきっていたのが、走り終えるのがだんだん夕方になり、夜になり、とうとう一日かかっても走りきれなくなってしまった。
テリーはそれでも懸命に歩を前へ前へと進めた。もはや走ることができなくなり、足をひきずりながらでも前へと進む彼を動かしていたのは「1メートルでも西海岸に近く」という熱意だった。
しかし、そんなテリーにとうとうドクターからストップがかかる。
「テリー、今すぐ走るのをやめて入院しないと、君は死んでしまう」
結局テリーは143日間走り、8000km中、5373kmを走ったところで諦めざるを得なくなってしまったのだ。
(続く→ 最終話へ)
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