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また田圃の水に囲まれ、島畑らしい季節が到来しました。この観察「島畑物語」もこれで6周年です。

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本日のメーテレ(名古屋 テレビ)番組「ドデスカ」で蟹江町の「お宝」紹介コーナーがあり、その中で島畑が紹介されていました。ちょうど先週の木曜日、メーテレさんが島畑の模様を収録されていたようですね。皆さんが立ち去った後に水郷も島畑を歩いてみることにしましたよ。

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田植えが済んで田圃には満々と水が張られています。今年は、5月末に早々と梅雨入りとなりました。

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田圃の中央部にあるのが島畑、名前どおり田圃に浮かぶ島みたいな畑です。

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水郷が、初めて島畑の存在意味を知ったのは6年ほど前でした。早朝の散歩を始め、面白い景観だなとは思っていたのですが。。

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田圃の真ん中にこんな景観、初めはこの景色というのは、何処にでもある田舎の農業 景観だと思っていましたよ。でも、三重 の故郷には、こんなところは無かったという疑問はありました。農道から島畑へは、写真 のような細い畦道で繋がっているのが普通です。

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いろいろ調べてみると、愛知 県西部に拡がる尾張平野の畑作は、この島畑で多く栽培されてきたのですね。そのルーツなどを調べてみると面白いです。そして、それぞれの島畑には、いろんな野菜や果樹が植え付けられています。皆さんの好みの野菜や果樹が解ってこれも面白いですね。

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島畑を耕している方々もそのルーツは解らないようです。皆さんにとっても何処の地にでもある普通の農業景観だと思っているようですよ。歴史を遡れば江戸時代の文久2年(1862)の須成村古文書には、この島畑が村絵図(図面)の中に「畑」として記述されています。今から約150年前には、現在地に島畑があったということが解ります。

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島畑周辺 の田圃は、既に田植えが行われていました。稲が生育すると、島畑が緑、そして黄金色の絨毯に囲まわれてしまい、一見、孤島のように見えてきますよ。

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のんびりとした田舎の雰囲気ですね。でも、近くのJR蟹江駅から電車に乗ると僅か10分ほどでJR名古屋駅に到着します。都心から僅かに離れたところに長閑な田園風景が拡がっているのは、ある意味奇跡的なことだと散歩する度に感じます。

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この島畑は春ジャガが栽培されて花が咲いていました。

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こちらの島畑では、手前にタマネギ、その奥にはサヤエンドウが栽培されていましたよ。

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耕作が放棄された島畑もありますし、柿やイチジク、桃、栗など果樹を植え付けている島畑もありました。

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春野菜のタマネギ、ジャガイモ、豌豆などを収穫されている方、夏野菜のトマト、キュウリなどを管理されている方が一生懸命に作業をされていました。それぞれの島畑には、それぞれの特色・個性があることが解ります。皆さんの好みによるものでしょうね。最近は、せっかく栽培・手入れした野菜を荒らす「服を着たお猿さん」が出没して苦労されているようです。そのために耕作を断念されたところもあるようです。

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その分、この地区にゆっくりと立ち入る気分になりませんよ。うっかり入るとお猿さんと勘違いされてしまいますからね。随分と物騒な世の中になってしまいました。それはさておき再び島畑周辺をジックリと観察してみましょう。

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写真左は、農道から西側多度・養老面、東側はJR名古屋駅方面となります。海抜0メートルに拡がる平坦地に島畑は存在します。

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かつては尾張平野の各地でこの景観を見ることができました。

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この地点は観察から6年が経過してもあまり変化がありませんでしたが、周囲には大規模な流通センターが建設され、隣接している団地南部は市街地開発が行われ、大型店舗が進出する予定などじわりと都市化が進行しています。そうなるとこんな田園風景もこれから大きく変貌するかも知れませんね。

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尾張平野の何処でも拝見できた農業景観は、都市化や圃所整備などで消滅の危機を迎えているようです。現在、蟹江町内でもポツリ・ポツリと島畑らしいところを拝見できるところがありますが、これだけまとまった島畑が残っているのはこの周囲だけとなり、それだけ貴重な存在となってしまいましたよ。

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島畑とは、尾張平野(濃尾平野の尾張側一帯)に広がる田圃に囲まれ点在する畑のことを言います。別名「刎畑」とも言われています。もともとは木曽川デルタ地帯に属する川の氾濫時の際に運ばれた大量の土砂を一カ所に寄せ集めたり、用水路の土浚えの際に生じた余剰な土砂を盛り上げて造成されたものです。島畑は中世・近世の時代から今日まで、永らく尾張平野一帯の田園風景としてどこでも見られるごくごく平凡な景観でしたが、耕地整理、都市整備が進むにつれ、都市部周辺から姿を消して行きました現在、島畑が残るのは、一宮市丹陽・三ツ井地区、あま市花長(旧海部郡美和町)、沖ノ島・遠島(旧海部郡七宝町)、海部郡蟹江町須成、名古屋 市中川区などです。全国的にも愛知 県一宮市~海部郡周辺と京都 府城陽市に残された景観だと言われています。近頃山間部に切り開かれた「棚田」が歴史的農業 景観、国土保全のため保護が必要と、保存のための取り組みが行われていますが、「島畑」は平野部に多く点在し、利用価値も高いため、耕地・土地 整備などによって今後消滅する可能性が高い歴史的農業 景観でもあります