水郷、約2年半ぶりに清洲公園に鎮座されているお舘様にお会いしました。先日、蟹江観光 ガイド ボランティア「歴史文化夢案内人」の皆様と「小牧長久手の戦い」に関する史跡巡り研修会に参加させていただきました。

 

午前8時に蟹江町産業文化会館に集合してマイクロバスにて出発です。目指すは清洲城。蟹江町須成から清洲城へと続く古道「信長街道」沿いに清洲城に向かいます。約30分ほどで清洲城に到着しました。研修の目的は後日紹介しましょう。。取り敢えずご覧くださいね。

清洲城と言えば思い出すのが、若き日の織田信長ですね。でも、元々は織田信長が生まれてから支配していた城では無いのです。戦国時代初期は尾張守護斯波氏の居城として繁栄していたようです。斯波氏は将軍家足利氏の一族で、室町幕府を支える三管領に家柄を誇っていました。守護を補佐する守護代を務めたのが織田氏で、信長はその一族でも傍流にあたる家系だったようです。信長の父、信秀の代に門前町である津島と熱田の湊を支配してから頭角を顕し、次第に織田本家を凌ぐ勢いを誇るようになったようですね。弘治元年(1555)に信長は、主家である守護斯波氏、本家織田氏を追放し、清洲城を本拠にして尾張経営に乗り出します。 永禄6年(1563)に美濃攻略のため本拠を小牧山城に移すまで、信長の居城として重要な役割を果たしました。

お城自体は、その後も拡大増築されたようですが、江戸時代の慶長15年(1610)に、名古屋 城築城にともなう「清須越え」より廃城となりました。今の天守閣は平成になり復元されたものです。 お城では清須市のガイドボランティアの方に説明をいただきました。その後、各自で自由見学となりましたので、水郷も天守閣上部へと登ってみることにしましたよ。

これは、桶狭間の戦い出陣前に能「敦盛」を舞う信長を再現したもの。緊張した場面を上手く表現していますね。。この戦いの勝利により信長君の全国デビュー が始まるわけです。

 

天守閣最上層へ登りました。四方を見わたしましたが、生憎のどんよりとした感じの空模様で、遠くに見える名古屋駅高層ビル群も今一つという感じです。でも、プチ鉄の水郷には堪らない光景が。。目の前に東海道本線と新幹線が横切っていますので次から次へと列車が通過していきます。

 

のぞみ、ひかりを始め、新快速、貨物列車が次々と通り過ぎていきますよ。。一日のんびりと見物しても飽きないかも。。

庭園も枯山水調の落ち着いた感じに作り上げられています。室町から戦国にかけての雰囲気が上手く表現されていますね。。前の建物は御殿「芸能文化館」として地域の舞踊や民謡、太鼓などの伝統芸能の伝承育成、茶道などの研修などに活用されているそうです。ちなみに本日は、何も催し物が無く、ひっそりしていました。。

まだ自由行動の時間がありましたので、水郷はお城の対岸にある清洲公園へと移動しました。勿論あの御方にお会いするため。2年ぶりにお邪魔しましたよ。。前回は蟹江から「信長街道」をMYチャリ水郷君とともに走破してお邪魔しましたが。それ以来、MYblogのプロフ写真 はこの「お舘様」を使用させていただいております。前回とは角度を変えて写真撮影を行いました。公園から遙か熱田神社・桶狭間古戦場方面を眺めているようですね。ちょっと曇り空なのが残念です。。

 

見学を終えた車中にて清須土産「信長もなか」をいただきました。甘みが少し控えめでとても美味しかったですよ。。こんな土産物があると有りがたいですね。。蟹江でも何か考えた方が良いかとワイワイガヤガヤ。。研修気分が高まっていきましたよ。。

約30分ほどで小牧市に移動しました。市役所前で小牧市ガイドボランティアの方に出迎えていただきましたよ。まずは、小牧山城についての簡単な説明から始まりました。

 

小牧山城は、名前のとおり尾張平野にポツリと独立した山頂に築城されたお城です。標高は約90メートル。ちょっとした登山 気分で天守閣を目指しました。途中に戦後、名古屋市建中寺境内から移設された尾張九代藩主徳川宗睦公の墓碑がありました。

 

その後も山道が延々と続きます。 結構シンドイですね。。そしてようやく山頂に到着です。かなり皆さん疲れたようですね。。

こちらが小牧山城天守閣。元々、この山頂には天守閣は存在していなかったようです。戦後の昭和43年(1968)名古屋市の資産 家である平松茂氏が資財を投じて山頂に小牧山城を築城されたとのことです。但し、小牧山一帯は、国史跡のため、お城としての天守閣建設は認められないので、代わりに京都西本願寺の飛雲閣を模した建物を建設し、名前も「小牧歴史館」と名付けたそうです。さて、話は本題に戻ります。天正10年(1582)京都本能寺で織田信長は、家臣明智光秀の謀反ため横死し、その後継者を巡って織田家臣団内で内紛が勃発しました。やがてライバル柴田勝家を打倒した羽柴秀吉の勢いが強くなり、それに危機を感じた信長次男織田信雄が信長の盟友だった徳川家康 に援助を乞い、家康は尾張へと出兵し、天正12年(1584)小牧山に陣を設置し、犬山城に陣を敷いた秀吉と対峙します。これが「小牧長久手の戦い」と言われる天下統一を争う大きな戦となりました。

館内は小牧長久手の戦いの模様を中心とした展示で構成されていました。最近、館内はリニューアル されたようで、随分と解りやすい展示となっていましたよ。。

 

特に写真撮影が禁止されているようではないので、皆さんが熱心にガイドの説明などを聞き入る所を撮影させていただきました。

最上層からやはり四方を見回します。清洲城の時よりも晴れ間が多くなって、随分と見晴らしが良くなっていましたよ。こちらは城北側から犬山・尾張富士を望みます。手前の小さな山には犬山城があり、秀吉の本陣がありました。僅か5~10㎞程度の距離だと思いますが、この間で秀吉軍と家康軍の大軍が睨み合っていたようです。戦いは、お互いに「睨み合い」の膠着状態となり、秀吉と家康の知恵比べの戦いとなっていきました。

 

写真左は岐阜城方向、金華山頂の岐阜城天守閣は、遠すぎて見ることが出来ません。写真右には名古屋空港が見えました。中部国際空港が完成するまでは、この地域の空の玄関 として重要な役割を果たしてきました。空港内には、航空自衛隊の基地も設置されています。

その時です。航空自衛隊機が小牧山上空を旋回飛行しているのを発見。早速写真撮影しようと思ったのですが。。なかなか難しいものですね。。

 

約1時間ほどして小牧山山頂から別の登山道を下りましたよ。。タブノキやオカタマノキの大木やユズリハなどの暖帯海洋性の植物が多く茂っていました。都市化の著しい尾張平野の中で、ポツリと自然林が残っているという感じですね。。モミジも多く植えられていましたので、これからの紅葉シーズンに散歩されても良いかも知れませんね。。裾野にはまだ当時の土塁が残っています。バームクーヘンのような土の層で築かれていることが解るような展示がされていましたよ。一帯は公園化されて長閑な雰囲気です。ちょうどお昼時間ということで親子連れの方々がお弁当を楽しく食べてみえましたよ。。こんなのんびりしたところでお弁当とは。。実に羨ましいですね。。

公園内では、秋の花、萩が満開状態でしたよ。。

丁寧に案内・説明いただいた小牧市ガイドボランティアの方にお礼をしてお別れした後は、いよいよ楽しい昼時間となりました。「腹が減っては戦はできぬ」。。これから小牧市で有名な釜飯屋さんで昼食です