今日から11月ですね。史跡探訪後編のアップが随分と遅れてしまいましたよ。午後から小牧山城から長久手古戦場へと移動しました。その前に・・・

まずは、お昼ご飯から始めないと。。「腹が減っては戦はできぬ」ですからね。小牧市内で有名な釜飯屋「日栄」さんで昼食となりました。

予約時間よりも少し遅く入店したので、良いタイミングで食事が出来上がってきましたよ。

 

山菜釜飯を美味しくいただきます。(^_^)v。。後から豆腐が追加されてきました。

山菜釜飯のアップです。お焦げがあって美味しそうですね。。ワラビ、銀杏、椎茸がタップリ入ってました。ウズラの卵も二個入っていました。。これがまた美味しいです。。小牧山登山 の疲れも吹っ飛びましたよ。。

 

茶碗に約3杯分もあってボリュームタップリ。。それでも皆さんとワイワイガヤガヤ賑やかに話しながら食べているとお腹の中に入ってしまうものですね。少食家の水郷も平らげることができました。。もう満腹で。。ちょっと歩くのが。。ゆったりと。(=_=)。。したい気分ですよ。

そんな希望も叶わず研修は続きます。小牧市から東名高速で長久手古戦場へ移動しました。まずは古戦場公園内にある長久手町郷土資料館見学です。

こちらでも長久手町観光 ガイド ボランティアの方に展示解説を行っていただきました。町の歴史の他、長久手の戦いの原因、そしてその背景・結果などの詳細なる解説を熱心にしていただきましたよ。

館内の見学を終えた一行は史跡公園として整備された古戦場公園内をガイドの案内で見学を行います。前編でも紹介しましたが天正12年(1584)4月に徳川家康 と羽柴(豊臣)秀吉は、尾張小牧山周辺 で交戦状態となります。戦はやがて「睨み合い」の膠着状態となっていきます。家康と秀吉の知恵比べ合戦となるわけです。やがて秀吉軍の中で、池田恒興・森長可らは、家康の居城である岡崎城を攻撃する「中入り」策を進言するようになりました。秀吉は、当初この「中入り」策を受け入れませんでしたが、あまりにも池田・森らが、この策の採択を強く主張すると、渋々ながら認めてしまいました。4月6日池田恒興、森長可、堀秀政、三好(豊臣)秀次ら総勢2万の軍が岡崎を目指して出陣しました。

 

しかしながら家康は、この動きを一早く察知します。4月9日、家康軍は背後から後詰めの秀次勢を急襲・壊滅させ、反撃に移りました。長久手の戦いは詳しく述べると4カ所で戦いが行われましたが、それは省略します。此処ではとても書ききれません。兎に角最終決戦の場所となったのがこのあたり。秀吉配下の猛将として名高い池田恒興、森長可両将も巧妙な家康の戦術の前に完敗、討ち死にしてしまいます。写真 上は勝入塚と言われる恒興が討ち取られた場所と伝承されている所です。

こちらは恒興の嫡男、元助が戦死したところと伝えられ塚が建立されています。池田家はこの後、次男の輝政が継ぎ、江戸時代には岡山 池田家、鳥取 池田家として明治になるまで国持ち大名として生き残りました。 そのようなこともガイドボランティアの皆さんから解説がありましたよ。

広々とした公園ですね。。当日はポカポカ陽気で家族連れの皆さんがゆったりと楽しまれていましたよ。それにしても本日はよく歩きましたよ。。

その後、お隣の日進市にある岩崎城に移動しました。岩崎城も戦国時代の典型的な山城で、駐車場から天守閣まで随分と歩きましたよ。。

 

岩崎城記念館の館長さんの案内でまずは天守閣を見学しました。その後記念館の見学です。日進市の歴史や長久手の戦いの経過を詳しく紹介した展示室を見学しました。長久手の戦いの敗因となったのは、池田恒興が秀吉から「途中で戦などをせずに、真っ直ぐに岡崎を目指す」という約束をされたのにも拘わらず、敵陣であった岩崎城から鉄砲を撃ちかけられると約束を忘れて城を包囲し攻撃し、無駄な時間を費やしてしまったことにあるそうです。

山頂には烽火台が残されていました。岩崎城の戦いの際には、この烽火台は役に立ったのでしょうか。。

こちらは二の丸隅櫓の礎石跡です。発掘調査されて実物は埋め戻されたとのことです。状態がよく解るように新たなる石が置かれているようですね。。

岩崎城から池田恒興を始めとする豊臣勢が目指した岡崎城方面を望みました。

今回のガイド研修の目的は、小牧長久手の敗戦により面目を無くした秀吉が、その雪辱を期するため2ヶ月後の6月に決行した蟹江城の戦いについて、その歴史的背景を理解するために行われたものです。 何事も現地を見学、検証しないと上手く理解できない事がありますからね。。

午後4時過ぎに全行程を終了し、一路蟹江を目指します。東名阪道から外を眺めたら、午前に見学した清洲城がよく見えましたよ。。存在感がありますね。。

名古屋西JCTを通過後、高速道路からMY畑を眺めました。。今は完全に稲刈りは完了しているのですが、この日はまだこのような状態でした。田圃の真ん中に樹木が見えますが、あれが島畑です。その奥の住宅 の近くにMY畑がありますが、写真撮影が下手ですので今一つ分かりづらいですね。。午後5時前に蟹江町産業文化会館駐車場に到着。研修は無事終了しましたよ。。有意義な研修でしたが、海抜0メートル地帯から標高約90メートルの山を登山、古戦場巡りなど結構疲れました。。