遙かネットの昔話 「三笠山委員会」編(3) | 空飛ぶ栗鼠と星の海(跡地)

遙かネットの昔話 「三笠山委員会」編(3)

■其の三「復活」
さて、「エニックスから返事が来たらやめる」ということでしたが、待てども返事は一向に返ってきません。
どうしたものかと思い悩んでいたとき、わたしの与り知らぬところで大きな動きがありました。
「うめじゅく」の半閉鎖です。

もちろんショックも少なからずありましたが、それ以上に困ってしまいました。
委員会をやめようと思ったのは、うめじゅくというファンの集まる場所が他にあったからこそ。
けれど、その「場所」がなくなってしまった。
これではこちらもやめるわけにはいきません。
やむなく、わたしは委員会を継続させました。

そして、この一件で考えました。
いつから「やむなく」になってしまったのか。
何のために委員会を始めたのか。
せっかくこれだけのコンテンツを作ったのに、これだけの会員が集まっているのに、ろくに行動もしてない。
もう一度、原点に返ってみてはどうだろうか。
もはや昔のようなテンションは戻ってこないだろうけど、それでも、せめて登録してくれた会員の期待に背かないだけのことをしてみよう。

ここから委員会の立て直しが始まりました。

まずは、ほとんどゲストブック状態だった会員を整理するところから始めました。
会員全員にメールを送って、継続の意思確認を求めました。
その結果、会員の数は半数以下になってしまいましたが、まだ動ける会員もこれだけいるんだと知ることができました。

次に、会員に「会報らしきもの」をメールにて送って、委員会で活動していること、活動しようと思っていることを随時報告することにしました。
これはわたし自身においても、委員会での活動をサボらないための戒めという意味がありました。

それから、活動内容についても見直す必要がありました。
その頃の目標は「愛蔵版発売」にはなっていましたが、唯一の方策だった署名は見事にスルーされてしまいました。
これから何をすればいいのか。
活動する手だてをいろいろ模索していたところ、とある会員からひとつのサイトを紹介されました。
それが、「たのみこむ」でした。
作ってほしいと思うものを発案し、得票の多いものから順にスタッフが実現に向けて交渉してくれるというサイト。
うめ謎の発案は「3巻発売」という形で既にありました。
けれど、しばらくしてサイトがリニューアルされると、その発案はクリアされてしまいました。
そこで、わたしが改めて「愛蔵版発売」と発案をし直して、これを委員会での活動の軸にすることにしました。

発案の票は順調に伸び、同じジャンルの中で3位前後を占めるまでになりました。
一方、「復刊ドットコム」というサイトでも別のひとがうめ謎の復刊を提案して、こちらもかなりの票を獲得していました。
どちらもサイト内での実現はならなかったけど、のちの「完全版」発売に大きな影響を与えた(らしいです。)

2002年の2月には、委員会として初めてオフ会を開催しました。
参加してくださったみなさんはホントにありがとうございました。
個人的にはいろいろ後悔したんですが、全体としては悪くなかったんじゃないかと思います。
そもそも、てんでんばらばらだった以前の委員会を考えれば、オフを開けるまでにコミュニケーションが取れるようになったということ自体が、大きな進歩だったと思います。

さて、この後の展開はあえてわたしから言わなくても、みなさんよくご存知でしょう。
長らく半閉鎖していたうめじゅくに「完全版」発売の告知が流れ、懸案だった原稿も無事にエニックスから帰ってきて、そして12月20日。その日を迎えたわけです。

わたしの気まぐれと周りのひとたちの後押しによって始めた、この「三笠山委員会」ですが、その活動が完全版という形で実を結んだことは、本当によかったと思います。
拙い舵取りでしたが、それをサポートしてくだすった会員の皆様には、ひたすら感謝です。
画像やアイコンなどの素材を提供してくださったかた、スクープを報告してくださったかた、わたしのよくわからん企画につき合ってくださったかた、「たのみこむ」に票を投じてくださったかた。
今いる会員はもちろんのこと、リストから外れたかたも、参加された全ての会員に、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。