振り返るとりきぞうの難治性てんかんの発作記録の為にブログを始めて、でも、どんどん違う方向に進んでいったブログですが、この度、りきぞうが虹の橋を渡りましたので、お知らせに来ました。
最終的には血管肉腫(仮)で他界しました。
実は難治性てんかんは治まっていました。
2013年の夏、重積発作がおさまらず、しかも記録的な猛暑でリッキーはフラフラでした。
この夏は越えられない。と、家族みんなが覚悟をしました。
どうせ、ダメなら後悔したくないと、冷ややかな獣医の意見をよそにサプリメントを始めました。
徐々に発作回数は減っていき、年が明けて2014年2月頃からは完全に発作が出なくなりました。
半信半疑で様子を見て、更に1年経った頃から薬を減らし始めました。
ゾニサミドを完全に終わらせたのは、亡くなる一週間前でしたけど。。。
その、重積発作でヤバイ夏。肛門の脇に腫瘍があり、それが爆発して出血が止まらず、止血剤の粉をもらって対応するということがありました。
それは、良性の脂肪腫とは違って、悪性の腫瘍ということでした(おそらく)
というのも検査してなかったからです。
その頃のリッキーはてんかんの重積発作で命を落としそうになっていたから、悪そうな腫瘍でもスルーしていたのです。
結果、それが今回の死因となった血管肉腫の種だったわけです。
ようやくてんかんの薬を止められると減らし始めた2015年年初、リッキーの体表面には多数の良性だか悪性だかわからない腫瘍がボコボコあって、毛が長いから目立たないけど、これ、毛を剃ったらヤバイよねなんて言ってたくらいです。
もともと、脂肪腫がたくさんできる体質で、そういうのが珍しくなかったんです。
ですが今年の春ごろからなんとなく首に板状の堅いしこりがある気がしていたんですが、特に医者に行くほどでもないのかな?と思っていました。
ゴールデンウイーク。パパがシャンプーした時それがあまりに大きくなってきてることに気づいた、と、同時に、リッキーが倒れて全く動かなくなった。
これはおかしいと病院に行くと甲状腺癌かもしれないと。
しかし、先生がバイオプシに失敗し、細胞が取れなかったのと、その時微かに血管肉腫に細胞と思われるものがチラッとあった、ということから、おそらく血管肉腫であろうと。脾臓に影があることからも、ほぼほぼそうであろうと。
我が家族は、いわゆる積極的治療と呼ばれる、手術であるとか、抗癌剤治療は望みませんでした。
甲状腺にできている腫瘍が一番大きくて、甲状腺ごと全摘することになると、術後のコントロールが難しく、うっかりすると術後2~3日で命を落とすかもしれないと言われました。
抗癌剤は老犬には負担が大きいです。
緩和の道を、リッキーの残りの時間を大切にする方法を選びました。
それは家族にとっては、精神的、体力的、経済的、いろんな意味で、試練です。
覚悟を決めて臨みました。でも、正直辛かったです。
GWの診察ではほぼ起き上がれず、目だけ動かすような状態のリッキーが、手作りのがん対策食餌とコルディM、3種類の止血剤と抗炎症作用程度のプレドニンで劇的に復活し、遠くの公園から、お気に入りの小径、思い出をたどるように毎日お散歩し、うちでは、毎日郵便屋さんと追いかけっこをして、いつも通りの日常を送りました。
食餌は毎日鶏肉、豚レバー、牛肉など生肉で頂き、今まで見たことないほどガッついて食べ、死への苦しみの直前まで完食してました。
最後は気胸でしょうか、胸がポコポコいってました。
とても苦しかったと思います。
もう、眠っていいと言ったのに、私がパートの昼休みに戻ってくるまで頑張ってました。
私が帰ったのを確認して、お利口さんだったね、といっぱい褒めてあげている時逝きました。
最後を看取らせてくれて、本当に親孝行な息子でした。
リッキーをこれまで可愛がってくださった皆様、ありがとうございました。
またどこかで