カツン、カツン、カツン……
足元の石を拾っては、岩に描かれた的に向かって投げる。
何度繰り返しただろうか。イルザはイライラしながら再び石を投げる。
カツン!
乾いた音を立てて、的の中心に命中した。
「……あの、悪魔めっ……」
村から少し離れた、森の中。ここは彼のいつもの居場所だった。
秘密基地、というほどの場所ではないが、ここにいると落ち着くのだ。
イルザはベティの顔を思い出していた。何も語らない、あの表情、そしてあの力。
投げられた石が、もし、自分だったら――
ぶるっと身震いする。そして、「っち」と舌打ち。
「くそっ、どんだけチキンなんだ俺は……!」
少し大きめの石を拾い、感情に任せて投げる。
正直、イルザは怖かった。あの力を目の当たりにしたから、だけではない。
彼には、この場所以外に、秘密基地があった。しかし、最近その秘密基地が無くなっていたのだ。
壊された、というわけじゃない。ここよりももっと離れた森の中にあったのだが、その森の木々ごと無くなっており、更地になっていたのだ。
そして、あの少女が現れた。
ミンティの店での一件、そしてさっきので確信した。あれは、あいつがやったんだ、と。
更地になっていたのは、かなり広範囲だ。そんな力を持つ者に恐怖を覚えない方がどうかしている。
それでも、恐れおののく自分が悔しくてたまらなかった。
「なんでミンティねーちゃんは、あれを見ても、あいつを追い出さねーんだ…?」
不思議だった。他人をほっとけない性格なのは知っているが、村人たちから反感をくらってまで守る必要があるのだろうか?
「ヘタしたら村が、更地になっちまうかもしれねーのに…」
想像したくなかった。そんなことになる前に、なんとかしなければ。
「ミンティねーちゃん、聞いてくれるかなぁ…」
はあ、とため息一つ。しかしすぐに石を拾い、思いっきり的に投げつける。
ガキィン!
激しい音と共に的の岩がすこし削れた。
その時、
「やっぱりここにいた! おい、イルザ!」
彼の後ろから、ひとりの男の子が声をかけた。イルザの仲間だった。
走ってきたのだろう、息を切らしている。
その表情は、焦りと戸惑いが入り混じっていた。
「なんだよ、どうした?」
「今、センターシティの騎士団がいきなり来て、村を前線拠点にするって!」
息を整えつつ、言う。
「はあ? 俺らは戦争に関わらない約束じゃねーのか?」
「なんか、偉い人からの命令らしくて、警護隊の隊長も間に入ったみたいだけど、断れなかったらしいよ。おれ、ヤンさんの宿に案内されるの見たんだ」
イルザは動揺を隠せなかった。なんでこんな時に……
「…分かった。あのクソ隊長もついてんだろ? なんとか、なるさ…」
そう言いつつも、不安を隠せなかった。あの少女に、戦争に関わる騎士団。平和な村が、どんどん壊されていくようだった。
「とりあえず、探りいれてみるしかねーな」
小声で呟くと、イルザは急いで村へと向かった。
日が、少しずつ傾いているのだろう。空が赤みを帯びてきているころだった。
狭い部屋だ。
部屋に入るなり、ブライムはそう思った。
田舎の小さな村とセンターシティに比べるのも申し訳ないと思うが、我々をもてなすには不十分極まりない。
軽く荷物整理を済ませた後、小さな椅子に腰かけ、煙草に火をつけた。
木造の宿での喫煙は禁止と言われていたが、知ったこっちゃない。
彼は長旅をそれで癒すかのように、ゆっくりと煙草を味わった。
やがて、扉のノック音が聞こえた。その独特のノックの仕方で、名乗る前に誰が来たが大方予想がつく。
「お休みのところ失礼します。ラズル・パウエルです」
「ああ、やっときたか。入りたまえ」
言いながら、テーブルの上にあるランプに火をつける。だいぶ日も落ちて、暗くなっていた室内がぼんやり映し出された。
ギィ…と音を立てて扉が開き、男――ラズルが入ってくる。ランプの明かりはそこまで届かない。
「失礼いたします」
扉を閉め、そのまま直立不動で口を開く。
「ずいぶんとお早い到着でしたね。もう少しかかるかと思っておりました。しかも第一騎士団の方がいらっしゃるとは思いもしませんでした」
センターシティに属する騎士団は十三。第一騎士団は最高階級の騎士団であり、戦場において右に出る者はいない軍団である。
「そうか? まあ、事が事だからな」
ふーっと、煙を吐く。
「それで? どういう状況か、説明してもらおうか」
「はい。ヤツは、約2週間前にこの村のレストランに姿を現しました。おそらく、その前から近くにいたと思われますが、はっきりとした出現日時は把握しておりません」
微動だにせず、淡々と語る。
「ふむ。続けたまえ」
「レストランに現れた時、“あの力”を発動していたようです。現場を検証したところ、割れたガラス、吹き飛ばされたと思われるテーブルと椅子、ヤツが使ったと思われる食器類、全てが劣化しておりました」
「なるほど。“あの力”は衰えることなく、健在ということだな。ブラッディ・ルビーは持っていたか?」
「はい。確認済みです」
それを聞き、ブライムは煙草を吸い、煙を吐く。そしてランプの灯を見つめた。
「で、今、どうしている?」
「それが……」
ここで、ラズルが初めて言い淀んだ。ブライムは目線を彼に戻す。
「レストランで働いていた村人の一人に介抱され、そのまま一緒に暮らしています。言葉も少し話せるようになったとか……お聞きした情報なら、あり得ないことです。他の村人から反感をくらってはいますが、村全体は活気を取り戻し、良くなっていく一方で……」
「その、村人の名は?」
ラズルの言葉をさえぎり、ブライムが問う。
「…ミンティ、という娘です。ヤツにベティという名を付けています」
「ふむ……」
ブライムは、煙草の火を甲冑の篭手に押しつけて消し、足元に捨てた。
「そのミンティという女、邪魔かもしれんな」
「邪魔、といいますと?」
ブライムの発言に、今度はラズルが問う。ブライムは新しい煙草に火を付け、
「ヤツをコントロールするという意味では、役に立ってくれそうだが、我々の目的に賛同するとは思えん。いずれは邪魔な存在になるだろう。とはいえ、すぐに消してしまってはもったいない。その女が何者か、調べる必要がありそうだな」
「ヤツは、どういたしましょう?」
「我々で捕える。その為に来たんだからな」
煙草を吸い、ニヤリ、と笑った。
そう、この村を前線拠点にする事は、本来の目的ではない。この村に我々を支援できるほどの物資が揃えられないことは、はなから承知している。
「捕える、とおっしゃいますが、“あの力”がある限り、近づくことも出来ないのでは?」
「案ずるな。ちゃんと切り札を用意してある。それより、ミンティという女を連れてこれるのか?」
ブライムの問いに、今度はラズルがにやりっと笑った。
「造作もないことです。自分は、村人たちの信頼を確固たるものとするため、努力してきたのですから」
「そうだったな。ラズル・パウエル“隊長”殿」
隊長と呼ばれたラズルは、苦笑した。
「自分はただの諜報部員です。警護隊の隊長なんてガラじゃありませんよ」
「にしては、なかなか様になってたぞ。転職でもしたらどうだ?」
「御冗談を。これ以上面倒なことは御免ですよ」
ひょいっと肩をすくめて見せる。しかしすぐに姿勢をただし、
「では、いつ頃実行いたしましょうか?」
「早い方がいい。我々も、暇ではないのでな」
パキッ
「!」
小さな音だった。しかしそれは確実に、二人の耳に届いた。
「誰だ!?」
ブライムが声を上げる。音は外からだった。
素早くラズルが動く。窓を開け放ち、見渡すと、遠くに小さな人影が去っていくのが見えた。
日が落ちた暗闇とはいえ、その後ろ姿には見おぼえがった。
「……っ!」
舌打ちし、外へと向かう。
「ブライム様、自分は鼠を捕まえにいってまいります」
そう言い残し、ラズルは急いで宿を後にした。
「…神は、もっと急げとおっしゃるのか…」
小さくつぶやき、煙草の火を消す。ゆっくりと立ち上がり、窓の外を眺めた。
「ならば、仕方あるまいな」
ブライムは立てかけていた剣を手に取り、部屋を出て行った。
――続く――