不安と風評
恐怖と不安
私たちは原子力発電所の問題に恐怖を感じ、これからどうなることかと不安を感じている毎日ですが、今日はこの恐怖と不安について、うんちくを語ります(笑)。
不安と恐怖の違い
恐怖は、対象がはっきりしています。
蛇をみると恐怖を感じるとか、戦争が恐怖だとか、原子力発電所の爆発が怖いとか「蛇」、「戦争」、「爆発」と対象が明確です。
大方の場合は、直接経験したことや、見聞きした間接的な経験などがもとになっています。
それに対して、不安は自分の存在を脅かす可能性のあることを漠然と予想して、不快な気分になることです。
すなわち、対象が漠然としています。
「将来に不安を感じます。」
とおっしゃったとき、
「何に不安を感じるのですか。」
と質問すると、
「経済的なこととか、子供のこととか、健康のこととか。」
といくつかに並べて説明されたり、
「うまく説明できませんが、なんとなく、不安なんです。」
とおっしゃったりします。
また、不安は予感や予想のような、一人一人の受け取り方の中に芽生えるのですが、それは、何らかの周りの情報や状況を手掛かりにして未来の危険を感じることでもあります。
原子力発電所の問題に対する恐怖と不安
原子力発電所の問題は「爆発がこわい」「被爆がこわい」など対象がはっきりとしています。
過去の経験から広島や長崎の原爆と比較したり、チェルノブイリの事故と結びつけて恐怖を覚えます。
チェルノブイリの事故と同じ被害規模のレベル7だという発表は、明確な恐怖として日本は当然ながら世界中を駆け巡ったことは記憶にあたらしいところです。
しかし同時に、原子力発電所の問題は、
「どの程度汚染が広がっているのか」
「いつおさまるのか」
とか、その状況と今後の予測については何が何なのかあまりに曖昧で漠然としています。
不安の塊です。
その原因の一つは、公式の発表が常に後出しジャンケンのようで
「最初に思っていたよりもひどかった。」
みたいな発表が続いて、不安が不安を呼ぶ相乗効果を起こしているように思います。
不安は、あいまいな状況が続けば続くほど、無限にどんどん広がっていきます。
恐怖はある意味、焦点がはっきりしている分、範囲が限定されています。
しかし、不安の広がりは無限です。
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風評と不安
現在、様々な風評が飛び交っているようで、「風評にまどわされるな」というメッセージをあちこちで目にします。
なぜ、風評がそれほど、ひろがっているのか。
この基盤は「不安」だと私は思います。
不安を基盤とした群集心理の中で、風評が無意識的に伝染し、根拠のない非論理的な情報が短絡的に信じ込まれているように思います。
原子力発電所についての公式の発表は最初から何かしら不透明さを感じさせました。
実際に、IAEAからも、情報公開が足りない、と指摘を受けています。
このあいまいさ・漠然さは、強い不安を生じさせるもとになっているかもです。
関係地域の方のご心痛を思うと、なおさらことの重大性を感じます。
風評を信じるなという前に、風評が飛び交う下地ができないよう、まず真実を赤裸々に発表することが重要なように思います。
これは、国内の問題だけでなく、世界においても同じです。
あいまいな、信憑性が低いと思われるような公式の発表を繰り返していると、世界中の不安をあおらせるきっかけになります。
実際、あいまいな発表の内容や発表の仕方は、きのこ雲の上がったイラストつきの新聞記事で「爆発で作業員が亡くなった。」とか、汚染がひろまって外に出られないとかいった誤解を海外で生じさせているように思います。
また、損得の次元において、国際情勢は生き馬の目を抜くような感がある現在、心理作戦として不安をあおる風評や誤解が仕立てあげられる危険すらあります。
放射能汚染探知機で日本産の食品を調べている写真や、被ばくと全く無縁の日本人渡航者から被爆が確認されたとかいったニュースは私たちにとって荒唐無稽であっても、世界の人たちにとっては不安の材料となり、日本産排除や、ともすると日本人排除にもつながりかねません。
まず風評が飛び交う背景に目を向けて
私たち民衆はがんばっているんだから、ボス(政府)はごまかすという姿勢よりも、真摯に正確な真実の発表をするのが大切だと思います。
「風評に惑わされるな」
とボスはいうけれど、風評の素地をつくっているのはボスです。
ということで、今日のオチはここに・・・・
しっかりしてね、ボス!![]()
ではでは。
























