6月19日の昼、トムとテレビ電話で話をしていた
「今日と明日はホテルに泊まることにした。家のベッドが固いから、背中が痛くて眠れない…」
そんなことを言っていたが、実は
5月25日、彼は補正されていない道で
つまずいてしまい、転んで怪我をしてしまいました
(のちに分かるのですが
そこから、細菌が入り込み肺炎球菌に侵され
糖尿病が邪魔をして合併症を起こしたのです)
そこから嘔吐が始まり
6月に入ってからはコントロール不能な下痢が始まり
6月6日以降、体の中から何かが攻撃しているような
体全体が痛いと言い始め
近所の病院へ行ったが、何もなく
それでもおかしいので、大きな病院に行った
胃腸科と整形外科…
当然、何もなく
ただ、血液検査はして貰いました
結果は1週間後に出るとのこと…
その1週間の間、彼はもがき苦しんでいました
その苦しみ方が、テレビ電話では
明確に伝わって来なかったこと…
私はとても後悔した
もっと強くもう一度病院に行くことを勧めていれば…
体全体が痛いのに、彼は仕事に出かけたり
友人のお父さんの49日にあたるイベントに出かけたり
とてもとても心配でした
夜な夜な家に着くと、テレビ電話をかけてきて
「手が勝手に震える…」
後に分かりましたが、これは髄膜炎の
痙攣だったのです。。
この痙攣が終わると
次は意識障害が始まります
6月19日、ホテルに着いた彼は
私にホテルの部屋の写真を送ってきました
「こんな部屋に泊まっている。今日はゆっくり寝る」
私は今日はゆっくり寝かしてあげようと思い
毎日続いていた23時30分のテレビ電話は
かけないようにしていた…
当然、彼からもテレビ電話がかかってこなかった
翌朝、6月20日
この日、私は京都へ行かなければなりませんでした
私たちは、毎朝
パパおはよう
ママおはよう
のLINEのやりとりをしていました
この日、私は新幹線の中から
パパおはよう
とLINEをしましたが、返事が返ってきませんでした
ただ、FacebookのMessengerの
既読時間は「何分前にオンライン」
と出ていたので、少し安心していた
ただ、この後もずっと連絡がつかない
電話しても、何度LINEをしても出ない
夜になって、いとことの食事会でしたが
気になって気になって会話にならず
めちゃくちゃ心配をしているところに
トムの今日の仕事場のミュージシャンや
お店の人たちから私に連絡が入った
「トムを知りませんか?彼は仕事をサボる人じゃないのに、今日は時間になっても来ないんです。2日前に調子が悪そうで、心配していたんですが…」
ますます悪い胸騒ぎがしてきました
私じゃ、何もできない…
とにかく中国語しゃべれる友人に頼んでみよう!
ドラムの坂本タケシさんに
電話をしたら出てくれました
事情を話し、先方のミュージシャンに
電話をしてもらいました
私はホテルの名前を聞いていなかったことを後悔した
ただ、手がかりは1つ
台北大使館の近くのリーズナブルなホテル
それだけ…
タケシさんにそれを伝えました
「台湾に大使館はないよ。多分交流協会のことだね」
そして、なにげに私はトムから送ってもらった
部屋の写真を送りました
すると、タケシさんは
「ここじゃないですか?!ほら、部屋の壁の模様が一致します!」
なんと
ホテルを特定してくれたんです!
そして、台湾のミュージシャン仲間に連絡!
仲間たちはすぐにホテルに連絡!
すると、ホテルは
「すみません…プライベートなので部屋を尋ねることができません…」
そんな…
みんな食い下がってしまいました…
「とにかく、翌朝のチェックアウトまで待って、出て来なければ、部屋を覗いてみますね」
そうホテルの人は言いました
私も、そうしなければならないのか…
どうしたらいいか分からなくなりました
すると、タケシさんがとても強く私たちに
「もっと強く言わないとだめです!ホテルだって営業内容に関わることだから、警察でも連れてってホテルに行ける人は行かないと!もっと緊急性を伝えないと!」
すると、現地の人たちは動いてくれました!
警察を連れてホテルに突撃!
ホテルのスタッフもさすがに開けてくれました!
ALIVE‼️
台湾のミュージシャンから私にメッセージが‼️
彼は生きていた‼️
ただ、もう意識はなく…
救急車で運ばれていきました…
私は、次の日の大阪ライブが終わったら
すべてのイベントをキャンセルし
すぐに東京に戻り
パスポートを取りに行って
台湾へと向かいました。。
今見ると、この新幹線から見える富士山が
これから起ころうとしている事を
守ろうとしてくれている
でも、この時は「奇跡」なども
想像すらできなくて
ただ、この富士山が
物悲しげに見えただけだった