2013年8月1日
4歳の悠太に告げられた病名は「ランゲルハンス細胞組織球症」でした。
100万人に1.5人とかも言われているほど、とっても稀な病気です。
外来でちゃちゃっとMRIを撮る予定が、最短で1年2ヶ月の治療が必要とされるような病気でした。
あの日を思い出すと、今でも苦しくなります。
悠太とマー君を連れて、死んでしまおうと本気で思ってました。
どこから飛び降りたら死ねるのか、この病院のどこに睡眠薬が置いてあるのか、手首を切ったら
本当に死ねるのか・・・など、現状を受け入れるより、死んでしまった方が楽だと思ってました。
でも、そんな私を支えてくれたのは、亮くん・両親・義家族、そして・・・友達でした。
8/7、病院に駆け付けてくれた友達、貴女達が居なかったら、私はここまで早く立ち直る事が
出来なかったよ。
あの頃は本当に辛かったなぁ。。。
祈りを込めて作ってくれたミサンガが今も私達を守ってくれてます。
一方的に送ってくれるメールが(笑)毎日楽しみになったり。
毎日毎日、「今日より明日が良い日になりますように」と願い、励ましてくれてる貴女達のお陰で
今、こうしてブログを更新する事が出来ています。
この2ヶ月間を振り返り、少しブログを書いてみます。
ファーストクールの6週間。
抗がん剤(ビンクリスチン)1日と、抗がん剤(シタラビン)5日間を2週間ごとに3回繰り返し、
プレドニゾロンというステロイドホルモン剤はこの6週間毎日内服しました。
シタラビンの抗がん剤は1日7時間程度の点滴で、体にモニター付けてるので、ベッド上から動けず
悠太のストレスも日に日に溜まり、プレドニゾロンの副作用で気持ちの浮き沈みも激しく、
治療の週は悠太も私も(実母も義母も)心身共にきつかったな。
・・・あんまり思い出すとまた辛くなるのでこの辺で。。。
幸い、抗がん剤の副作用が最小限で、白血球値も好中球も、2日後には自力で回復し
順調に治療も進みました。
そして9月末、東京の「国立成育医療研究センター」という小児科と婦人科専門の病院に
セカンドオピニオン外来で上京しました。
珍しい病気である為、今、入院中の病院の医師の知識が乏しく、治療に疑問があったからです。
現に、「この病気の治療は全国で統一されていて、この治療以外存在しない」と説明を受けてましたが
東京の専門医に聞いてみると、治療はいくつか存在し、患者本人がどの治療にするかを選択する事が
出来る、との事でした。
これまた幸いな事に、今の病院では選択肢がなかった悠太の治療法は、東京の専門医も
推奨する治療法と一致しており、このまま熊本で治療を続ける事になりました。
そして、10/1、この6週間の治療効果を判定するMRIを撮りました。
この結果次第で、今後の治療が大きく変わります。
もし、効果が得られていた場合・・・≪早期維持相A(6ヶ月)≫という治療に進みます。
その後≪後期維持相C(6ヶ月)≫に進めると、最短の1年です。
この治療(早期維持相A)は、2週間ごとに1日の抗がん剤点滴(2時間)とプレドニゾロンの内服のみで、
外来でも治療が出来るレベルです。
でも、悠太はまだ4歳だし、2時間の点滴+その後の経過観察(数時間)を外来で行うのには無理があるし
不安もあるので、前泊・治療当日・経過観察の翌日・退院・・・と 2週間に1度 3泊4日程度の入院治療
になると思うけど、お家に帰れる時間がこれまでの2ヶ月間よりだいぶ増え、精神的にも体力的にも
楽になる事は間違いありません。
どうか、この2ヶ月間の治療が病変に効いてますように☆
園ママさん達・ママ友さん達が、それぞれ 心を込めて&祈りを込めて、千羽鶴を作ってくれました。
悠太には二千羽鶴が付いてくれてます。
絶対、うまくいく!!
今のような気持ちになれる日が来るなんて、あの頃は思ってもいませんでした。
この病気は生命に関わる事は少なく、乳児期(0歳~2歳くらいまで)の発病以外だと
95%以上の生存率で予後は明るい。
ただ、再燃率がある程度高いので、今後も長期的なフォローは必要です。
まずは、早期維持相Aに進めますように☆
悠太の病気が発覚して以来、たくさんの人達にご心配をお掛けしました。
一緒に涙してくれたり、励ましてくれたり、支えてくれたり、受け止めてくれたり、協力してくれたり、
会いに来てくれたり。。。
本当にみなさん、有難うございました!!!
治療はこれから1年は続きますが、今後共、末永く宜しくお願い致します。
私達、頑張るからね!!!