「時間とともに悲しみが消えるなんて、とんでもない。

 

息子を失った悲しみは

 

増すばかりだ・・・。」

 

 

 

何年も前にお子さんを亡くしたお父様のこの言葉を聞き、

 

(私はどうなんだろう・・・)

 

と、自分の心の中を探ってみた。

 

 

 

 

(渓太郎をなくした悲しみは消えているのだろうか。

 

増しているのだろうか・・・。)

 

 

 

 

そう問いかけてみると、

 

 

 

確かに私も・・・

 

増している。

 

 

 

 

 

まもなく渓太郎20回目の誕生日を迎えようとしている今。

 

 

 

 

大人になった渓太郎を見てみたかった・・・

 

 

 

ハタチの渓太郎と話がしてみたかった・・・

 

 

 

どんな声をしているんだろう・・・

 

どんな表情をするんだろう・・・

 

どれくらい背が伸びているんだろう・・・

 

 

 

思いっきり左腕を上に伸ばして

 

渓太郎の背丈を想像してみる。

 

 

 

 

でも

 

私の指の先には

 

渓太郎の頭があるわけもなく・・・。

 

 

 

 

これまでも私は

 

渓太郎を失った痛みを

 

その瞬間、その瞬間

 

感じてきたのだと気がついた。

 

 

 

 

 

だけど、

 

その痛みを感じることで

 

虚しくなったことは一度もない。

 

 

 

 

 

顔が見れなくて、

 

 

会話ができなくて、

 

 

声が聞けなくて、

 

 

背比べができなくて、悲しくなるのは

 

 

 

ここに居るとわかっているから・・・。

 

 

 

 

 

その瞬間、瞬間に感じる悲しみは、

 

渓太郎と共に生きている大切な証。

 

 

 

 

 

私にとって悲しみは

 

決して負の感情なんかではないんだな。