「みなさんは、これまでの授業の中で

 

「家族が病気になったらどうするか」とか、

 

「生きること」や「死ぬ」ことについて考えてこられたと思います。

 

ですから今日は、ぜひこれまで学んできたことを振り返りながら聞いてください。」

 

 

 

そんな出だしで始まった

 

長野大学でのゲストスピーチ。

 

 

 

 

 

前回までの授業の中で

 

 

「家族ががんになったらどうするか」

 

 

「家族には延命治療をするか、しないか」

 

 

「もし自分だったら延命治療を望むか、望まないか」

 

 

など、具体的なことをイメージしてこられた学生の皆さんに私がお伝えしたのは、

 

実体験。

 

 

 

 

渓太郎への延命治療を選択した時の気持ちや

 

渓太郎の状態。

 

闘病中に私がした覚悟や

 

亡くなってからの心の動き・・・。

 

 

 

 

イメージの世界と現実の世界。

 

 

 

 

その両方を感じながら聞く学生の眼差しは

 

まさに食い入るよう・・・。

 

 

 

そして、

 

私の声だけが響き渡る教室の中で、

 

 

 

「それが自分勝手だとわかっていても、

 

私は一秒でも長く渓太郎と一緒にいたくて・・・

 

どうしても別れることができなくて・・・

 

延命治療をお願いしました。」

 

 

 

 

と言った瞬間・・・

 

 

 

すべての学生の動きピタリと止まりました。

 

 

 

 

 

「大切な人の苦しむ姿は見たくない。

 

だから、延命治療はさせない。」

 

 

という意見が多い中、

 

 

「大切な人の苦しむ姿は見たくない。

 

それでも延命治療をさせた。」

 

私・・・。

 

 

 

 

大切な人への深い想いと

 

その選択がイコールではないこともある・・・

 

 

 

 

それを知った瞬間、

 

静かに涙を流す学生もいました。

 

 

 

 

身勝手だと知りながら

 

それでも一緒にいたいという思い。

 

 

 

 

それが

 

当時の私の愛のカタチなんだな。