「よーい! ドン!!!」

 

 

運動会が行われた会議室に響き渡る

 

看護師さんの声。

 

 

 

私はまだ歩けない渓太郎を抱っこして

 

何メートルか先にぶら下がっているパンを目がけて走りだした。

 

 

 

思いっきり車椅子を走らせる子、

 

 

松葉杖をつきながら走る子、

 

 

点滴をしながら走る子・・・。

 

 

 

そんな中、

 

明らかに早い渓太郎。

 

 

 

(いいのかな。 渓太郎だけ抱っこで・・・。)

 

 

なんとなく感じる後ろめたさ。

 

 

 

 

横を見ながら遠慮がちに走ってみても

 

あっという間にパンのところまで行き着いた。

 

 

 

 

「渓ちゃん、パンパンだよ。」

 

と言って、

 

ヒモの先にぶら下がっているアンパンを渓太郎に握らせると

 

今度はゴールに向かって走り出す。

 

 

 

 

 

 

後ろを振り向きながら走っていると

 

間もなく

 

 

 

「渓太郎くん、ゴ~ル!! 」

 

 

聞こえてきたのは

 

ゴールラインのところに立っていた看護師さんの大きな声。

 

 

 

 

(いいのかな・・・)

 

うしろめたさがさらにつのった私は

 

会場の隅の方へ歩いていき、

 

そこでほかの子どもたちがゴールへ向かうようすをそっと見ていると・・・。

 

 

 

 

「渓太郎くん、よかったね~。よかったね~。」

 

といいながら、ひとりの女の子が渓太郎の頭をなでていることに気がついた。

 

 

 

その声にハッとした私が

 

腕の中の渓太郎を覗き込むと、

 

パンの袋をギュッと握り締めて

 

ニコニコと嬉しそうに笑っている渓太郎の姿・・・。

 

 

 

 

あわてて 「渓ちゃん、よかったね!」

 

と言いながら、切なくなった。

 

 

 

 

(私は一体、なんのために走っていたんだろう・・) と・・・。

 

 

 

 

 

外がわばかりに意識が向いていると

 

目の前にある幸せを見失う。

 

 

 

日常生活の中にある

 

数え切れないほどの小さな幸せを

 

私はこれまでどれだけ見落としてきたのだろう・・・。