ミヨ介が、現在、最も好きな作家、平野啓一郎の最新作です。実は昨日読了していたのですが、今日丸善で行われた彼のサイン会とリンクさせて書こうと目論んでいた次第です。
というわけで、まずサイン会の模様から・・・、と書きたいところですが、生憎とミヨ介は参加できませんでした。東京駅の方まで出て行くには出て行ったのですが、丸善で「ドーン」を購入した人のみの限定イベントだったらしく、ミヨ介は整理券を貰うことができなかったというわけです。(サイン会参加には整理券が必要)
どうせ生協に出る前に一般の書店で購入したのだったら、丸善で買っておけば良かった、とミヨ介、頗る後悔・・・。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
仕方なくサイン会の様子を野次馬の一人としてちょこちょこ覗いていたわけですが、対面式に椅子が二つ並べられており、読者と作者が対話しながらのサイン会となっていて、羨ましい限りでした。
と、長々、前置きをしましたが、「ドーン」の感想。
端的に言って、面白かったけど、個人的には「決壊」の方が好きかな、という感じでした。あと、やはり平野啓一郎は批評家肌の作家だと思いましたね。まず文明批評的、或いはそれに類するような視点があって、それに基づいて膨大な情報やその他諸々の小説の要素となるような部分を知的に論理的に構成していく感じがする。少なくとも現代以降を舞台にした作品では。
ドーンというのは人類史上初の有人火星探査機の名前です。因みに時代設定は2030年代。近未来小説です。この、ドーンの中に医師、かつ唯一の日本人として乗り組んでいた佐野明日人が主人公です。
世界は火星から無事生還した彼らを英雄として熱烈に迎えます。しかし、宇宙船ドーンの中では或る後ろ暗い事件が起きていました・・・。
それが一体何であるのか、またそれに悩む彼らの姿を、アメリカ合衆国の大統領選挙を背景に描き出されています。
それが何であったかまで紹介してしまうと、何となくネタばれになってしまいそうな気がするので、そこまでは書かないようにします。こういうのを小説技法の用語で、黙説法という(大学で教授が雑談として語っていた知識より 笑) 因みに、漢字はこれで正しいかどうか、全く保証はありません。
この作品は、梅田望夫との共著である「ウェブ人間論」を踏まえて読むと、さらに面白くなるのかな、と思いました。というのも、この「ドーン」につながるような彼の思想、というか発想のようなものの萌芽が、「ウェブ人間論」に色濃く出ているからです。
その典型が作品の底流をなしている分人思想。このような思想が現実として既に存在しているのか、否かについては、ミヨ介は知りません。
分人というのは、接する人に合わせて様々に変わる個人の内面。多重人格に似ているかもしれませんが、違います。理由つきで、作品中でも否定されています。意識的に内面を相手に合わせて変化させられるかどうか、という点で、決定的に違うのです。そこまでなら、誰しもが持っていて、かつ考え付くところでしょう。しかし彼独特のものというのが、すなわち「顔」です。因みに「ドーン」の登場人物の幾人かは、流動的に顔を変えられるような整形を受けています。相手に応じて自分の顔を変えられるように。「変名」ではなく、「変顔」です。
人は何よりもまず顔によって互いにアイデンティファイし合っている、というようなことを「ウェブ人間論」で彼は言っており、その考えが「顔のない裸体たち」で追求され、そして「ドーン」でそれが結実したという印象をミヨ介は受けました。つまり前者に於いては名前とリンクする形で描かれていたものが、後者に於いて遂に名前からの独立を果たしたような感じであるということです。
また、ミヨ介はこの作品の中では最後の部分も好きです。思わず、ほろっと来てしまいました。わざとらしいハッピーエンドでも、バッドエンドでもなく、どこか未来を感じさせるような仄温かい終わり方でした。帯に「愛はやり直せる」と太字で記されているのですが、本当にやり直せるかも、と思わせるような結末の持っていき方なのです。
詳しくは言及しませんが。
と、このように素晴らしい作品なのですが、残念だったことが二点あります。無論、これもミヨ介の個人的感想の域を出ません。
まず舞台をアメリカ中心に設定されていた為、どうしてもミヨ介の中でうまくリアリティが構築されなかったこと。
それから、ほろりとさせられるような終わり方でありながら、読後感に何となくもやもやしたものが残ってしまったこと。が、これが一体何に由来するものかは、定かではありません。
それから最後に、「エリ・エリ」というSF作品と、どことなく重ねて読んでいました。多分、宇宙の話が入っていたからだと思います。因みにその作者が誰であったか、数年前に読んだ小説なので、覚えていません。
ずいぶん長くなったので今日はこの辺で・・・(苦笑)