記憶をたどって・戦中戦後の話 .1  | 和婚アドバイザー飯田美代子の和婚塾ブログ

和婚アドバイザー飯田美代子の和婚塾ブログ

あまり流行に左右されない花嫁衣装ですが
最近は「何でもアリ」の着こなしが目につきます。
基本を踏まえて、花嫁が希望する着こなしを勧められる
「和に強いプランナー」になってほしいと期待を込めて。

私と同年代の方でしたら昭和10年の頃までは、よそゆきの装いはきものだったと思います。

そのころの子供の普段着はメリンス、よそ行きは銘仙がほとんどと記憶しています。

そして、七五三のお祝着で友禅の振袖を着たように思います。


七歳になると本断ちのきものに腰上げ、肩上げをして着るので、大人になったら、染め直してきたり、長襦袢にしたり、最後は座布団にと、一反のきものは長いおつきあいをするのが普通でした。

そのころ、戦時中だったので「国防婦人会」というのがあって、「贅沢は敵だ」が合言葉で、ある女子大学の女性の先生が「100年戦争だから、もう錦紗なんか着ることはない、錦紗のきものは夜具に使い、布団地の木綿はモンペにしなさいと講演会で言っていたのを覚えています。

その時は、洗脳されているので何の抵抗も感じませんでしたが、

疎開して助かった振袖は、戦後、お米とお芋に変身してしまいました。