チマタの噺

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こちらで昨日放送された「チマタの噺」の動画が見られますよー。

 

http://tver.jp/episode/23683215

 

 

初めてこの番組、観たのだけれど

なかなか面白いですね!

オバサン的には、リサイクルショップ&詩吟教室のオカアサンが

すっごくツボだった~!

だって83歳でしょ?あのバイタリティーと、若さと美しさときたら

文化財なみですよっクラッカー

人間、幾つになっても学ぼうとする意欲は大事だなー!と

思わせていただけるコーナーでしたわ。

 

 

で、鶴瓶さんとまさやんのガチトーク。

なんつったってキュン!としちゃったのは

鶴瓶さんがまさやんに「娘さん、いくつになったの?」訊いた時に

ニンマリしながらも、そおおっと人差し指を一本立てたところ。

 

 

 

可愛くてカワイクテかわいくて、たまらんのだろうなあ~、このオトコはビックリマーク

実際、自らも言っておられたではないか。

 

「息子が生まれた時は、それほどでもなかった。」と。

そうなのだ。

息子は飽くまで、同性であるからこの先育ってゆく間の過程が

自身の生い立ちを顧みて、なんとなく想像がつくし

どのみちいずれは巣立ってゆく、若しくは追い出される対象と捉えられている。

 

 

しかし、男性にとって「娘」が生まれるというのは文字通り

「授かりもの」に他ならず、自分にとってまったく異なる別の生物であり

それこそ、壊れ物をそっと扱うような「眩しい存在」なのかもしれない。

 

 

先だって、スタジオジブリの長編アニメ作品「かぐや姫の物語」の

ノベライズ本を読みましてね。

 

 

公開当時、劇場にも観に行きました。高畑勲監督による、世にも美しく哀しいお姫様の

お話でした。

小説版になったものを読んでみたところ、映画では伝わりずらかった

登場人物の複雑な心理描写が、克明に描かれていてとても面白かったです。

 

 

原本はご存知「竹取物語」ですが、そこに登場する「竹取の翁」は

その時代のお年寄りなので、現在で言うと40代くらいだと思うのです。

 

で、ある日竹やぶで「光を放つ竹」を目にして

その中から、ちいさなちいさなお姫様を見つけるのです。

神々しくも美しく、あまりにも可愛らしいお花のような姫君を。

 

 

ある程度、年齢を経てから授かった「女の子」は

この「竹取の翁」と同様の心境なのだろうなあ、と。

それはそれは最高にいとおしい存在に他ならないのでしょう。

 

 

そのお姫様を手のひらの中に、そっと包み込むようにして

慌てて家に戻った翁に対して

連れ合いの「媼」は、案外と冷静であるのはやはり

同性だからでありましょうか。

夫婦はそれぞれ、最大限の愛情を注いでかぐや姫を育ててゆくのですが

その「愛情」のありかたが、翁と媼ではまったく異なるのです。

男の目から見た「女性にとって最高の幸せ」VS女の目から見た「人としての幸せ」の

ギャップが、やがて彼らを悲劇へと誘ってゆく・・・

 

 

鶴瓶さんが語られていた、娘さんへの思い。

 

「40歳になっても、娘はやっぱりいつまでも娘なんやね。」って言葉に

うんうん、と頷くまさやん。

45歳の彼が、40歳になったお嬢さんのことを今の鶴瓶さんのように

父親として「寄り添って」あげられるかどうか。

そう考えると、なんだか切なくなりますわねえ。

「君の名前」という楽曲に込められた、もうすぐ45歳になる父親が

幼ない娘の行く末に寄せている、飾らない正直な心の裡が・・・

 

 

 

ワタクシ自身、息子が2人でありまするから

女の子を産み育てた経験がございませんが

鶴瓶さんとまさやんの会話を聞いていたら

我がダンナに、そんな「甘酸っぱい気持ち」を味あわせてあげたかったかも。。。と

ちょっとばかし、センチメンタルな気持ちになりましたわ。

 

 

愛娘ちゃんを授かったことで、今までは知ることのなかった

「こころの機微」に接し、それを噛みしめるように音楽へと昇華させる。

人間、そんな風に変化してゆけることが

たまらなく嬉しくも愛おしく、この先もさらに変貌を遂げていくであろうと

予想させて貰えることも、また楽しみでございます。

まさやん、やっぱり今後も追いかけさせていただきます走る人あせる

 

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