スポーツ指導における体罰について、メンタルの側面からコメントを求められることがあったので、ここでブログで残しておきます。
ここで書くコメントの根底にある私の意見は、
「殴ったり蹴ったりしても、人は真の実力発揮はしない」ということです。
以下、つれづれなるままに書きます。
そもそも。
体罰の目的。
(殴ったり蹴ったりをおこなう指導者は、まっとうな目的を述べることができるのか)
殴ったり蹴ったりする理由を、「教育的指導だ」と言う指導者は、現場でいます。実際に出会うこともあります。
「もしも教育的指導なのだとおっしゃるのなら、どういった教育の一つなのですか?」
と私は聞いたりします。
これまで誰一人として、この質問に冷静に「その人なりの正論」を言えた人はいないです。
それはなぜか。
結局、彼らに理由なんてないからです。そこが問題なのです。
彼らは自らで自問自答すらしたことがないのかもしれません。
「なぜオレは、私は、選手を殴ったり蹴ったりするのか?」
この自己内省的な質問は、当然、自己客観視をせざるを得ないわけで、そう考えれば、明白な「全うななぜ」がないのです。
彼らは、そもそも、勝利至上主義なんてものですらありません。
本当に「勝利」を大事にするのなら、殴ったり蹴ったりが、どれだけ「継続的なスポーツにおける勝利」にはマイナスかがわかります。
勝利主義なんかじゃない。そのレベルにすらいっていない。
たんに、彼らの「べき思考」と、彼らの「指導に対する自信のなさ」と、彼らの「セルフアウェアネスの欠如」が、彼らをそうさせている。つまり、彼らが、彼ら自身の感情に支配されているだけだと、いつも思います。
なぜか。
私の目の前で、よく、彼らは感情に支配されて、吠えます。
理論的に説明ができないからこそ、彼らは「自分の能力のなさに、いらつき」、目の前の私に、怒鳴ります。
女には、そして、こんな理論ばっかりほざく女には、スポーツで勝つことの意味なんてわかるわけがない。こんな心理かぶれの女に、体罰の理由なんて言う意味がない。
というのが表面的な彼らの「いいわけ」で。
ホントは、「理論的に体罰の説明ができない自分に、自分がイライラしている」だけに過ぎない。
だから怒鳴る。
「おまえみたいなスポーツ知らないで、心理やってる女に、スポーツのメンタルがわかるか!」
と、怒鳴って、威嚇したつもり、みたいな方もいらっしゃいました。
こういう時・・・。
ま。
アホな自分は心の中で、ちょこっと動くわけです。
おいおい、さっきから聞いてりゃ何なんだ。
おまえより、スポーツメンタルは知ってるわい。(非論理的。それこそ、感情に支配されてる最中)
who do you think I am?
どれだけ勝利に執着した人生をやってきたと思ってるんじゃ。(良い意味でも悪い意味でも。汗)
と・・・。笑。心の中で、怒鳴り返している自分がいるわけですが・・・。
(で、そのまま、自分が選手とかコーチだった経歴を言わずに、去ると、カッコいいのでしょうけど、それは自分にはできまへん。結果的に、淡々と「申し遅れましたが」とか言っちゃって、経歴言うという、一番、嫌味な女です。)
とにかく。笑。
話戻すと、要するに、殴ったり蹴ったりは、教育的ではありません。勝利思考でもありません。そうですね、超近視眼的な結果思考であるってことでしょうか。それも、その「結果」は、相手にとっての「結果」ではなくて、あくまで「指導者側のほしい結果」。
一方で。
本当に「教育的な体罰」を、実際におこなう方々も指導者でおられるでしょう。
体罰という表現がキツイ気もしますが。
たとえば、負けた後に、ランニングを〇周するとか。
遅かった選手は、腕立て伏せを〇回するとか。
これをやるまでは、終わらないぞ、とか。
つまり、人の身体に傷を負わせるものではなく、トレーニング負荷をかけるというものでも、もしも体罰というのならば、そりゃ、スポーツ現場では存在するでしょう。
これは賛否両論かもしれませんが。
自分は、実際、「もうこれが限界だ」と自分が思った後にも、たとえネガティブなアプローチであろうと、ネガティブレインフォースメントで、限界の先の世界に行けた、という経験が多々あります。
そりゃ、自己の限界を超えるために必要な、異常な身体行動はあると思っています。
その、異常な行動は、いやいや、絶対、自分ではできない。
すでに限界と思っている時に、さらにもっと!という時には、それこそ、地獄だ、って思うようなことをやるわけですから。誰かに無理やりやらされないと、できないとも思っています。
でも・・・。
それには、師弟関係の深さが影響します。
目指している目標が、師弟ともに一致していることも重要です。
さらに、その選手のモチベーション傾向が、towardなのかaway傾向なのかにもよります。
長くなりましたが。
1)体罰という言葉を聞いて、あなたは、何を想像するのか?あなたの定義は、範囲は何か?
2)何のための「身体への刺激」なのか? その刺激が、顔が腫れるまで殴ったりという意味不明なものなのか、その刺激が、トレーニング負荷など、少なくとも、心身の限界の先に行ける道につながっているものなのか?
3)師弟関係がどうなっているのか?
4)選手のモチベーション傾向が、towardなのか、awayなのか?
5)目の前の選手の選手人生、そして引退後の人生に、スポーツ経験をどう影響させたいと思って、あなたは指導をしているのか?
そんなことを考えることが、大事なのだと思います。
つれづれなるままに、長くなりました。